一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.171 「ボヘミアン・ラプソディ」

クイーンのフレディの劇的半生
青春の一ページにさよならを言う映画

私が始めて好きになった洋楽のアーティストがクイーンだった。

高校生の頃から大好きで、確か初めて行ったコンサートもクイーンだったと思う。
青春のバンドなわけだったのだが、二十歳をすぎるとだんだん聴かなくなり、他のアーティストも好きになったりして、縁遠くなっていった。

そうした頃、フレディ・マーキュリーが死んだというニュースを聞いた。
「えーっエイズで死んだんだー。そうかーっ……」
と、あまりショックではなかったように思う。
私はロジャー・テイラーファンだったので。

クイーンのアルバムは、どのアルバムも全ての曲が良かった。
ふつうアルバムって何曲かしょうもない曲が入ってるものだが、クイーンはそうじゃなかった。
全て良い曲だった。
私にとっては。

クイーンの音楽は私の中の多くのものを作った。
たとえば、センスを磨き、美意識を高め、感受性を深めた。
また、イギリス愛を植えつけた。
そんなクイーンのフレディ・マーキュリーの半生を描く本作。
胸踊りながら観に行ったことは言うまでもない。

 

四人のメンバーそっくりの役者たち
まるでクイーンそのものを観るような楽しさ

クイーンというバンド自体はそんな揉め事もなくずっと解散することもなく続いてきたバンドだと思っていたのだが、映画ではフレディと他のメンバーとの諍いもあったみたいで、私の知らないこともチラホラ。
フレディがブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンドに加入するくだりから、最初のガールフレンド、メアリーと出会いつきあい始める
導入部は興味深いもので、画面に見入ってしまった。

その後デビューしてからも音源は全て実際のクイーンのものなので、ミュージック・ビデオを見ているような楽しさ。
しかも、メンバーを演じる役者が全てそっくりなのだ。
フレディは役者の方が目がくっきり二重で丸いというのが違うだけで、パフォーマンスはそっくりどころかそのもの。
まあ、フレディの舞台パフォーマンスは特徴的なのでマネしやすいと言えば言えるのだが。

監督がブライアン・シンガーで、彼自身もゲイなので、フレディの性癖部分はどう表現するのかと思っていたら、意外にあっさりと流していて、それよりフレディの寂しさや孤独の部分に注力していた。
もう少し父親との葛藤や、ゲイへの目覚めの描写をした方が彼の苦悩に迫れると思ったが、そういう映画を目指してはないようだった。
綺麗なクイーン(フレディ)の音楽映画という趣き。

 

ラストのライブ・エイドコンサートに感涙!
失ったもののかけがえのなさに気づく

しかし、ラストのライブ・エイドの実際の21分間のパフォーマンスの再現は感動的であった。
もうこれはクイーンのコンサートを見てる臨場感!
私はここで涙してしまった。
それは、「ラジオ・ガ・ガ」が演奏されたからだ。
私はこのロジャーの曲が大好きで、泣けてしまうほど、好きだったんだと驚いた。
そして、そのコンサートを楽しんでいる人々の描写にも心が揺さぶられた。

みんな楽しそう。
みんなクイーンが大好き。
こんなにも愛されているグループ。
でも、もうフレディはいない。
ジョン・ディーコンも引退した。
もう彼ら四人を揃って観ることはできない。
また私は泣いた。

人は失ってから、失ったもののかけがえのなさに気づくことがほとんどだ。
私は本作で、私の青春の忘れていた一ページを思い出し、そして「さよなら」を言った。
ちゃんと言えてなかった「さよなら」を言った。
私を作ったクイーン「ありがとう」。

出会いと別れ。
得たものはいずれ失う。
変わらないものはない。
私は本作で自分の歴史を振り返り、改めて生きていく戒めを得た気がした。
私が出会う人たち、ものたち、真摯に向き合っていこう、と。
いずれ、別れがくるのだから。

クイーンファンは必見。
胸に来る。
ファンでなくても、胸に来る。
だって、クイーンの音楽が素晴らしいから。

 

監督 ブライアン・シンガー
脚本 アンソニー・マクカーテン
出演 ラミ・マレック ルーシー・ボイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョー・マッゼロ
エイダン・ギレン アレン・リーチ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ

※135分
配給: 20世紀フォックス映画
©2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

※11月9日(金)よりTOHOシネマズ梅田ほかにて全国ロードショー!

 

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