『ネガティブとポジティブ』の2極性を考える 〜その先の可能性とは〜

本当の問題はネガティブかポジティブかではなく ネガティブ=悪、ポジティブ=善という 私たちがそれに与えている価値なのかもしれません。

先日、お客様に「いつもポジティブに考えてるんですか?」と問われて
ふと気づきました。

……いえ、ポジティブには考えていない(笑)。

 

というか、ネガティブとポジティブに分ける自分というのが
既に存在しないということに気づいたのです。

とかくポジティブシンキングに価値がおかれ
そうでなくてはならないという風潮の中で
そうできない場合には、苦しくなりますね。

いつもポジティブに考えられたら苦労しないよ、と言う声も聞こえそうですし
逆に、それはお花畑過ぎるんじゃない?ということもありますよね。

実はポジティブに考えなきゃ(考えよう)!!
“Let’s positive thinking!”と言っている時点で
実は既にネガティブですよね。

本当はネガティブに捉えそうだから、(あるいはすでにそう捉えているから)
ポジティブにならなきゃ!! という意識が働くということ。

またネガティブを否定している時点で既にネガティブということもできる
かもしれません。

宇宙には何かを否定するというエネルギーは本当は存在しませんから。

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全てOK,全てあり、というのが宇宙の(私たちの)本来の姿なので
何かを否定する時点で、その本来の周波数からは遠ざかっています。

だから私たちはこうやって、ネガティブかポジティブかをジャッジするたびに
何か息苦しいような感じがするのですよね。

ではもっと突き詰めて本当はネガティブもポジティブも存在しない
と考えたらどうでしょう。

三次元のこの世界は二元性で成り立っていますから
ネガティブとポジティブ
光と影(あるいは闇)
善と悪
プラスとマイナス
男性と女性
大人と子供
などなど……。
という対局、あるいは比較対象が存在するわけですが
それは私たちが体験する指標として役に立つというだけのことであって
そもそも存在しないものである、ということ。

例えば肉体としての私たちは性別を持っていますが
魂としての私たちには性別はありませんよね。
だけど性別を持つということで、男性あるいは女性としての体験ができます。

その男性として、あるいは女性としての体験も
今の時代と100年前や1000年まえでは、同じ性別でも経験することは
天と地ほどにも差があるはず。

ということは私たちの目の前にある男性あるいは女性だという二元性のみで
一概にジャッジできないということです。

これはネガティブあるいはポジティブと言われることも同様で
今の時代にはポジティブとされることも、1000年前にはそうでなかったかも
しれないし、逆もまたしかりです。

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本当はネガティブとポジティブの間に、その二極ではなく
無限の可能性があるのだと思うのです。

起きてくる物事は中立です。
それ自体にはネガティブもポジティブもありません。
宇宙はそんな単純な二元性でできているのではないからです。

但し、私たちはその中立な出来事に意味を与える力を持っています。
だから、私自身はネガティブに考えてはいけないとかポジティブに考えなきゃ! ということではなくて、この出来事は何のために起きているのだろう?私は何のためにこれを経験しているのだろう?意味は何だろう? ということは考えたりします。

どう捉えたら、私の人生や私自身にとって、あるいは関わる人たちにとって役に立つのか?
どうしたら、この出来事が光をもたらしてくれるのか? ということですね。

もしかしたら、ネガティブに捉えた方が役にたつことだって
あるかもしれません。
だったらそれでいいじゃない?

本当の問題はネガティブかポジティブかではなく
ネガティブ=悪、ポジティブ=善という
私たちがそれに与えている価値なのかもしれません。

そして単純にネガティブ、ポジティブということだけではなく
その間に在るたくさんの可能性を観た方が、人生は面白くなるし、
意味が深くなると思うのです。

スピリチュアルセラピスト美月結でした。

 

美月結公式Blog
Walk in Beauty~湘南葉山から美しく生きるためのスピリチュアル
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