悟ったら、すべてが無になる!?~悟るということは、自我がなくなるということ~

悟り

仏教では、ブッダが伝える「悟り」を目指して、多くの人達が修行します。
スピリチュアル界でも、「悟り」を目指すことが目標となっている場合もあるでしょう。

しかしひと言で「悟り」と言っても、それを自分自身で体感しなければ、理解することが大変難しいのではないでしょうか。

簡単に言葉では説明できないのが「悟り」なのでしょう。

 

真実は無であり、この世界は夢である

某出版社から頂いた、あるスピリチュアルの本を読ませていただいていたとき、その中の、
「真実は無である」
……という1文に、強い衝撃を受けました。

その本によると、人間が悟って真実を知ることによって、現在感じている喜びや悲しみも含め、自分自身の価値観すべてが消え去ってしまう……ということが書かれていたのです。

悟り

私は以前、自分の守護神から、「人間の魂は無限ではなく有限であり、長い年月を経て、いつかは消滅する」ということを教えていただきました。
つまり、最終的にはすべてが「無」になる……ということです。
ですから、今生きているこの世界はすべて「夢である」といっても過言ではないのです。

真意にはズレがあるかもしれませんが、守護神からのその言葉とつじつまが合ったため、この1文に衝撃を受けたのでした。

 

悟ったときに訪れた変化とは

宗教家を含めた「悟れていると思われる人達」へのインタビュー調査が、海外で行われたそうです。

その人たちの話によると、 悟ったときの最も顕著だった変化は、「自我の感覚の変化」だったそうです。

悟りの初期の段階では、宇宙など「あらゆるものと、つながっている」ということを実感するようになるそうです。
そして、完全な悟りに近づくほど「自分という感覚がなくなり、雑念や感情が消えていく」……ということです。

悟り

考えること、すなわち雑念が少なくなり、何かを考えてもそれに捉われずに、受け流せるようになるということ……目の前にある物事を、淡々と受け止められるようになるようです。
そして過去にも興味がなくなり、過去の出来事を忘れがちになるのだそうです。

ひとつひとつの物事に、何かの意味を見出そうとしなくなる……つまり「真実は無である」という状況に近づいていくのでしょう。

 

悟ったから人生が楽しくなるという訳ではない

こうしたことから、悟るということは「すべてが無であるということを、実感することであるといえるでしょう。

激しい喜怒哀楽がなくなり、自分自身も存在していない……という感覚を持てることであると思われます。

自我がなくなるのですから、「大勢に認められたい」、「人から良く思われたい」、「誰かより上でいたい」、「ぜいたくを満喫したい」という我欲もなくなり、非常に心が穏やかになります。

しかし、もし「楽しく生きていく」ことを目指すのであれば、適度な喜怒哀楽は必要です。
悟るということは、ネガティブな感情に振り回されなくなる反面、決して気分が盛り上がってウキウキ楽しくなる……という訳ではないのです。

肉体を持って生きながら、ある程度の人生経験を重ね、自我と我欲をすっかり昇華させたあとに……ようやく「悟り」の方向に向かえるのではないか、と考えています。

 

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