■カルマの定義とは?~悪いカルマはそもそも存在しない! すべてのバラにトゲがある理由~part.3~インド生活『村上アニーシャのアーユルヴェーダ』vol. 154

9月

ドクタージョンは、「カルマとは単に行動、行為であり、これまでの古い感情パターンから行動することをやめるためのひとつの機会で、〈自分であること〉によって変えることができる」とアドバイスしています。

これは、

・他人に好かれるかどうか
・他人から承認されるかどうか
・他人から批判されるかどうか

を絶えず気に病むことから解放され、これまでそれらの心配事にかけてきたエネルギーを浪費しないようにするための機会として捉えることができ、

辛い時、あるいは辛い時期というのは、これまでそしてこれからもずっと私たちを悩ませ続けるかもしれない古い感情パターンを変換するためのパワフルな機会を提供しているだけなのだと……。

そしてこの機会を逃さずに、より高い霊的成長への踏み台として使えば、体験してきた辛い時期に対して自然に感謝が湧き上がるだろうと……。

こういった意味で、カルマにはそもそも良し悪しはなく、すべては私たちの人生、癒し、関係性を変革するための単なるひとつの機会に過ぎず、この機会はしばしば「病気」という形でもたらされることもあるのです……。

 

★「何もしないですべてを達成する」

ここで、古代ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで書かれたとされる宗教文書。「ヴェーダ」とは「知識」の意味。バラモン教とヒンドゥー教の聖典といわれているもの)において前提となっている、ひとつの思想をご紹介します。

それは、「何もしないですべてを達成する」という概念です。

これは、ちょうど太陽が、私たちから遥か遠くの離れた場所から光を送り続け、地球上にすべての恩恵をもたらしていながら、地球上で実際に花が咲いているかどうかなど、太陽自身はまるで気にかけないことと似ています。

この概念を人間の可能性に当てはめてみるとまるでしっくりこないので、おかしなことに聞こえるかもしれませんが、これは古代ヴェーダにおいて前提とされている立派な教えのひとつなのです。

現実的に人間は、他人への影響、あるいは他人からの影響を全く気にしないでいることは難しいことです。

9月

(太陽は光り続け、地球に恩恵を与えていることなど一向に気にしてない)

私たちは子供の頃、母親と父親の承認を必要とするよう、遺伝的に密接に関係しています。

親からの承認を気にせずに自由気ままに育てられたら、例えばうっかりジャングルに足を踏み入れてしった場合、簡単にライオンに食べられてしまいます。
そしてそこには当然、助けてくれる人など誰もいません。

このように動物界では、若い者たちは、自分を養うために自分を偽造することを余儀なくされます。

このため人間は、ママやパパからの承認と保護を得なければならない時期が当に過ぎても、他人から承認されたいという根強い必要性を持つ続け、それを他のもので置き換えるとドクタージョンはいいます。
(買い物、彼氏や彼女、よりよい教育、よりよい食べ物、お金、力、名声……。このリストは、永遠に続きます)