ともくん宮崎からの手紙―! PART.3 邪馬台国と忘れ去られた太陽”日下(ひのもと・くさか)族” の記憶~後編~その1

やはり天孫降臨は”あった”と思える可能性

やはり天孫降臨の真実は、霊的、スピリチュアル的な側面においても、神話学的な面においても、 原型はあったといえるでしょう。

ぼくたちの常識では到底追いつけないようなことが、たくさん古代の地球においては存在したかもしれない……
それを環境の変わってしまった現代の歴史の治世者たちが、 天孫の強大な力を封印するために、各地に神社仏閣をつくり、結解をはり、事実を比喩として、神話にして書き綴ったということが、 にわかにわかってきたのです。

氏族としては、琉球の延長にあった、当時日本を護っていた皇子である卑弥呼や、アマテル、 彼らが持っていた天孫降臨の伝説を中国大陸よりやってきていた秦氏と呼ばれる始皇帝の子孫(神武天皇に相当する)に譲りのちに婚姻していったために日本の邪馬台国に継承されていた秘密の日下族の天孫の伝承が、 封印されそれまでの史実が神話となって残るようになり現在のものとなったことがわかってくるのです。
そして海幸山幸物語と同じように物語を譲ったほうは、 家来となって従うほかに道はなかったのかもしれません。

宮崎県において、その古代の太陽族だった日下部氏が始まった、 はじまりの地である日下部塚(くさかべづか)へと家族みんなでお参りに行ってきました。
多くの秘密はいよいよ深くたち昇るばかりですが本当の神話と歴史の秘密を解き明かせる日が来るまで、まだまだ旅は始まったばかりなのかもしれません。

(邪馬台国のイラスト)

 

民芸品、佐土原人形でできたアマテルくん

西都原考古博物館では、古代の天孫である瓊瓊杵尊と、妻コノハナサクヤ姫のお墓であるという男狭穂塚女狭穂塚があります。
この博物館の展示物は、写真も自由にとることができ、基本的に無料ですべての展示物を見ていくことができるのも魅力です。
ここにある古代生活体験館は、はにわや勾玉を自分の手でつくることもでき、ちびっ子たちにも大人気の体験できる総合ミュージアムです。
今回は博物館で開催されたマルシェで、アマテルくん(火明命)を宮崎県は佐土原町に伝わる民芸品の佐土原人形でつくってみました! 笑
神話の里ということもあり、ここには神代(かみよ)タイプの民芸品まであります。
宮崎空港などでも販売されているので、観光にいらしたお客様はぜひともお土産などにおひとついかがでしょう。

その他博物館でもほんとうにたくさん興味を持ってきてくださる方々がいて、僕もすごくうれしい気持ちでいっぱいです。
東京や東北、同じ九州などからも来てくださる方もいて、宮崎に来たらぜひとも僕もみなさんとお会いして神話の地をめぐってみたいなと思いますね。

 

日本書紀のライターだった日下部氏と草壁皇子(くさかべのみこ)の謎

そしてなんと、日下部氏は古代の日本書紀の執筆者の一員だったのだそうです。

女神天照大神のモデルである持統天皇と、その息子である瓊瓊杵尊のモデルである皇子。
彼も草壁皇子(くさかべのみこ)といいますが、やはりこれも、日下部氏族に養育させたものだったというのです。

皇子を王位につけるため、本当にどんな手段をも辞さなかった過去があったのだという。
やはり古代の人々は、卑弥呼や日下部氏に伝わる天孫降臨の秘密を知っており、そのちからを秘匿していたのかもしれない。
悲しい過去も、多くの人々の出来事も時間が優しく洗い流してまた新しい歴史が昇ってゆく。
日下部塚の前で、そののちたどった彼らの足跡を思い浮かべるとき、気が付いたら涙がぼろぼろこぼれていたのでした。
邪馬台国の秘密も、卑弥呼たちの伝説も、そうした出来事を隠し、未来素晴らしい世界を創るために
意図的に「自分たちから歴史の舞台から隠れて消えてしまった」のではないかとおもえるのです。

椿 – 彼方へ… Tsubaki – Kanata e… R&B

 

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(トップ画像/河上社)