有人飛行機の設計図作り~忠八28歳~
人を乗せるには強力なエンジンが必要です。
しかし当時の二宮には発動機を買うお金がなく、軍を退役して薬品会社の営業マンとしてお金を貯めます。(軍の上層部に何度も飛行機制作の上申書を出したものの「外国でさえ飛ばした事がないのにできる訳がない」と却下されていました)
そして営業マンとしてめきめき頭角を現し、会社で大出世した二宮は、飛行機を組み立てるため家を買い、人生の時間もお金も全て捧げて飛行機作りに打ち込みました。
そして両翼9m、鉄製の骨組みが機体をしっかり支え、あとはエンジンさえ搭載すれば人が飛ぶ!という段階まで来た時、新聞を読んだ二宮は地獄の底に突き落とされます。
ライト兄弟が、37mの飛行に成功したという記事が掲載されていたのです。
ライト兄弟や二宮の他にも、空を飛びたいという願いは人類共通で、ドイツのリリエンタール、アメリカのラングレー、イギリスのヘンリー・ファーマン、フランスのブレリオ・フェルベといった人達が、懸命に夢を追いかけていました。
「もしあの時、軍が自分の研究をサポートしてくれていたら」
「自分に十分な資金があったら」
世界で初めて空を飛んだのは、自分であったはず。
目標を打ち砕かれた二宮は、ショックのあまり完成間近な飛行機をたたき壊してしまいます。
しばらくは何も手につかない日々が続いたそうですが、晩年、飛行機事故のニュースを見るにつけ心を痛めていた彼は、空の犠牲者を弔うために私財を投じて「飛行神社」を作りました。
そして彼の功績も、多くの人の手によって後世に語り継がれる事になったのです。
うまく行かない時、頑張ったのに思うような成果が得られなくて落ち込んだ時、私は二宮の人生を思い返します。
彼と比べて自分は何の努力をしてきたのか。
超えられない壁を超えようとしているのか。
全てがうまく行く事は、確かにラクで幸せな事かもしれません。でもそれは、自然の摂理に反すると思うのです。
追い風では、飛べません。
投げた石が川面をはねるのも、水の抵抗と、その時生まれる波が風を生んで上に上がるのです。
だから、自分の正面に風が吹き付けてきた時、背を向けるのではなく、前に一歩踏み出してみましょう。
そしたら、今よりもっともっと高く飛べるはずです。
[参照] 二宮忠八・伝 生駒忠一郎 KTC中央出版