魂の真実 Ⅱ〜「綿毛に包まれて生きていく」〜Vol.31 

地獄というものは、私は1つの癒しであると思っています。 強烈な体験による大きなダメージは、時に優しさが痛みを増長します。

-苦労が好きな魂?-

魂の世界が困難でなければ、何をすき好んでこんな苦労の多い地球に生まれてくるのですか? と不思議に思われる人も多いと思います。
先ず、魂は永遠の命としたなら、人間の“死”に値する恐怖も無いわけですよね。

肉体も無く、病や怪我もありません。生きるために嫌な仕事をする必要もなく、時間に追われる事もありません。
常に、ストレスを抱えて、それを解消するにも時間も金銭的余裕もなく、病や怪我に襲われていたりする現代人の私たちは、確かに羨ましい限りです。

私も何度も思ったことです。
仕事に大半の時間を取られて、好きでもない人との時間の共有が圧倒的に多く、大好きな家族には僅かな睡眠までの時間と、僅かな休日しか共に時間を過ごすことは出来ません。
何のために生まれて来たのだろう?
こんなものの為に生まれて来たんじゃない! と有名な歌のフレーズではありませんが、実際この言葉を何度となく叫んだりしました。

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私は今でも“死”に対する恐怖は無いのですが、“死”へ移行する過程が嫌で、何とか生きてますが、人は何度となく“死”へ旅立ちたいと思うものらしいです。
それほどまでに現代人の生活は自分自身を失い、生きるという、生活するという事そのものが困難な時代を生きています。
ですから余計思いますね。

何故、こんな思いをするために生まれたのか?
この時代に生まれる価値はあるのか?

魂の世界は安定していて、全てを理解している事から、その感覚も肉体に入った私たちとは少し違います。魂のレベルでは少々困難な事が起きても危険が無いことも知っています。
その感覚に近いものを私たちが想像する材料として考えるとどんなものでしょう、
例えば、私たちが演劇をするとして、ただ美しい世界で苦労も無く、ただ、ぼーとしている役柄を演じたいでしょうか? ただ、ただ、満たされ続けている……。

確かに苦しみも無ければ、どんなに幸せだろうと思いますよね。
私たちは日々、何か起きていますから。
でも、やはり悩んだりチャレンジしたりすることは、とても大切なことだと知っていますよね。
人間の描き出すストーリーでも、何の苦労も無いお姫様が退屈になってお城から抜け出すというものもよく有りますね。
日本ですと、ほら、有名な遠山の金さん(何も苦労は無いとは言えませんが)が庶民の格好で城下へ行きますね。位の高い人として、細かい事をお膳立てされた人生では飽き足らず、自分自身で色々体験し、自分の目で見たかったのでしょう。

結局は好奇心や向上心が強いのが魂。肉体に入ってすら、その性質は変わりません。
私たちが、「もう、おしまいだ!」とか「もう、最悪だ!」などと悲嘆にくれ、叫んでいることは、実は終わりでもなんでもないのです。

魂は永遠。今回の人生で出来なくても次回があります。
別に無理しなくてもいいんです。
全てを完璧にしたいと思うから、自信を苦しめているだけなんですね。
『~しなければいけない!』っていうものは、本当は何一つ無いのです。
自分で自分を苦しめているだけ。
魂の立ち位置で想像してみると、そういうことなんです。
この人間界は一つの舞台演目。
短編もあれば長編もある。
長編には「シーズン1」なんて感じで、何話にも繋げることも可能なのです。