ココロセラピストが語る!?『引き寄せの法則』ザ・ビギナーズ~周囲に振り回されない自分でいること~

今を生きる

今を生きる話。

僕が引き寄せの法則で、それなりに楽しく生きられるようになった頃を思い返してみた。といっても、過去に大きなイヤなことは幾度となくやってきた。その都度、ネガティヴな気持ちに支配されそうになっていた。極端にいえば、この世のすべてがイヤになった。そして信じられなくなった。そんなふうに思えることも度々あった。

結果論かもしれないが、『今を生きる』ことができている秘密は、可能な限り穏やかでいられることだと思う。それは決して、出家しろとかそういう話ではない。僕らはみんな普通の人間だ。喜怒哀楽はあるし、興奮することもあれば、凹むことだってある。それはそれで構わない。ただ、ずっとイライラしていたり、ずっとメソメソしていたりすると、過去に引っ張られ続けて、『今を生きる』ことはできない。

その時感じたことを、安易に否定するわけではなく一旦は自身で受け止める。そして、それはそれとして、より良い未来に進むために、今この瞬間を冷静に感じ、最善の状態でいられるようにするのだ。そうすると、引き寄せ力は格段に上がる。大切なのは、今この瞬間なのだ。

苦痛すらゲーム?

僕はMではない。たまに勘違いされるが本当に違う。S的な要素もあるかもしれないが、それもまた違う。たとえば、常に平和で安全で、何の危機もなくなったまま永遠が続くとする。そうすると、その状態に飽きて、刺激を求めるようになる。そうすると、命を懸けて行う『ゲーム』を求めるようになる……のかもしれない。僕がMではないと言ったのは、まさにそこだ。そんなものは僕は求めていない。緩やかに、そして穏やかに、平和に、安全に。そんな世界を望んでいる。

人生が狂うほどの刺激を受けてまで自分を成長させたとも思わない。結果的にイヤな目にあってしまったら、それを糧とせざるを得ないが、「矢でも鉄砲でも降ってこい!」とは微塵も思っていない。そんなゲームに参戦したいなどとは僕はまったく思っていない。

ムカつく相手が、バナナの皮ですべって転んだら「ざまあみろ!」と思う。それは認める。何故なら僕は聖人ではないからだ。だが、Sっ気前回で、相手を完膚なきまでに叩きのめしたいとも思わない。もし、思ったとしたら、それは趣味思考の話ではなく、脅威が再び自分に迫ってくることを恐れているからだ。

振り回されない自分。

基本的に他人を操ることはできない。「変えられるのは、自分だけ」と僕は度々、みんなに言っている。だって、他人を無理に操って変えようとするよりも、自分が変わった方が明らかに早いからだ。実はこれ、引き寄せの法則にとても関係があるのだ。引き寄せの法則は、相手がどうとか、自分がどうとか、大して関係はない。如何なる状況でも、自分が何を感じ、何を望んでいるかこそが重要なのだ。

だから、辛いことや悲しいことに強く引っ張られ過ぎてしまうと、潜在意識が、そっちを認識してしまうとでもいうのか、更に辛いことや悲しいことを引き寄せてしまう。だから、過去に執着している人は、今、本当は脅威など何処にもないのに、常に過去に怯え、今この瞬間までも、恐ろしい世界に変えてしまうのだ。だから、だからこそ、「過去に引っ張られるな」とか「今、この瞬間を生きろ」とか、僕は、これでもかというくらい繰り返してきたのだ。そして、これからも繰り返す。

仮に、不運にも自分の周囲が荒れていたとする。自分も、直接的であれ間接的であれ影響を受けたとする。それでも、辛いかもしれないし、悲しいかもしれないけれど、可能な限り、自分自身の心を穏やかにすると良い。そうすると、可能性が見えてくるのだ。

その都度、『正解』は導き出せなくても『最善』を意識する。穏やかな心で、最善な状態をキープし続けていると、プラスの引き寄せ力が発動するのだ。その結果、自分自身の状況がいつの間に好転し、そして、瞬時にとは行かずとも自分以外の人や環境も変化してくる可能性が高い。「私、引き寄せが苦手なんです!」と、自信満々にいう人は、もしかしたら、ネガティヴな過去に引っ張られているのではないだろうか。

無理にスーパーポジティヴになれとは言っていない。ただ、穏やかであろうと意識することだ大事だと僕は言っているのだ。興奮しまくっていると、周囲が見えなくなる。可能性も見えなくなる。目の前の事しか見えなくなる。目の前の事に集中することは大切だが、目の前のことが絶望であれば、絶望だけ見ていても、楽しくもなんともないのだ。

「子供の頃、犬に追いかけられた、だから、未来永劫、犬は怖いし、見たら全力疾走で逃げなければいけない!」と思う思考パターンの人は、これを機に考え方を変えて欲しい。確かに怖い犬もいるかもしれないが、90%の犬が怖い存在であるとは限らない。また、追いかけられたのも、襲ってきたのではなく、犬があなたと遊びたかっただけかもしれない。それは、僕にはわからないが、その時の認識や解釈によって現実は変わってくる。そんな曖昧なものに、現在や未来を悪い方に変えられてしまってたまるかと思わないだろうか。僕は思う。

僕は今、割と満足した生き方ができている。だが、100%、自分や自分を取り巻く環境が安心と安全で守られているわけではない。だが、常に最善であるように心掛けてはいる。そうすると、100%思い通りになっているかどうかは自分ではわからないが、なんとなく現状打破というか、ピンチを逃れられている気がする。

後になってみると「よくよく考えると、あの時、ヤバかったっぽいけど、いつの間にかピンチを脱していたな」と胸をなでおろすことも多い。そして一方で、今、自分が無事に生きていられること、元気でいられることを再認識しつつ、よりよい明日につなげるためには何を引き寄せたら良いかを楽しみながら考えている。いつもながら強制するつもりはないが、お勧めだ。






  

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