ココロセラピストが考える『ともだち』とは ~ 選べ。そして選ばれろ~

友達

友達は100人必要か?

友達は100人必要か。そう考えると、大きく二極化しそうな気がします。ちなみに僕は必要ではない派です。友達、ではなくて仲間という言葉に置き換えても同じです。「TATSUMIさん。あなたは寂しい人ですね。友達、少なくても良いんですか?」と思われたかもしれません。でも、構いません。だからといって、誤解して欲しくないのですが、友達が少ないほど良いと言っているわけではありませんので、そこは協調しておきます。

 

かつて僕は粋がっていた。

ごめんなさい。かつての僕は粋がっていました。認めます。たとえば、僕はFACEBOOKが大好きな時期がありました。もちろん今も好きですが、若干考え方を改めて現在に至っています。ハマっていた頃、何をしていたかというと、FB友達を増やしまくっていたのです。今考えると、怪しい新興宗教か、怪しいマーケッターと同じ穴のムジナだったかもしれません。

元々、僕はネットに限らず友達が少ないタイプでした。今もですが。だから、友達がたくさんいるというか、仲間をはべらせたりすることに対して大きな憧れを持っていたのだと思います。今風に言えば、自己肯定感が著しく低かったのでしょう。なので、当時の僕は、とにかく人とのつながりを増やせるだけ増やしていこうと思ったんです。

ここで気づけば良かったのかもしれません。「増やせるだけ増やす」、と書きましたが、誰彼構わず人数集めをしているような人と、誰が仲良くなってくれるというのでしょうか。人との繋がりって信頼関係なんですよ。「あ。それ知ってます。ラポールの形成ですよね。モデリングと、ペーシングして相手を自分のペースに……」とか言ってる人、違いますからね。嫌われますよ。

かくいう僕も、まさにそんなタイプでした。心理学が大好きだったので、無駄に知識を増やし、傲慢になっていたのかもしれません。仮に知識が多かったとして、それだけでカリスマになれるかというと、そういうわけじゃないですからね。実際は、そんなに知識もなかったと思うので顔から火が出そうです。

人って、自分に興味を持ってくれる人に興味を持つんです。だって、自分に興味も関心も持ってくれない人と仲良くなれませんからね。しかし、当時の僕は常に一方的でした。友達を増やしたいと言っておきながら、相手にほとんど興味なんかありません。当時は深く考えていませんでしたが、それって自分自身が相手を友達だと思っていないですよね。その時点で、友達でもなければ仲間でもないんです。つまり、自分自身が、友達とか仲間とかの感覚を勘違いしていたんです。

少しずつ交流を深めて、次第に信頼関係ができたり、意気投合したりできて、友達って増えていくんですよね、本来ならば。時間こそかかりましたが、それに気づけたから良かったものの、このことに一生気づかなかったら、考えただけで恐ろしいです。といいつつも、そんな僕に優しくしてくださった方、信頼してくださっていた方、今も交流を続けてくださっている方々には本当に感謝しています。成長の速度が遅いですが、温かく見守ってくださっていて本当にありがとうございます。これからも宜しくお願いします。


友達が多いに越したことはないが……。

本当の意味での友達であれば、100人と言わずとも、大いに越したことはないと思います。ただ、現実的に考えると、自分という人間がひとりなのに対して、友達の数が増えれば増えるほど、その方々に避ける時間や体力、気力、財力が必要になってきます。「本当の友達なら、近くにいなくても、何年も会ってなくても固い絆で結ばれているんだよ」と言いたくなるところですが、それもちょっと違うんですよ。

そのレベルに至るまでの友情って一瞬ではできないんです。最近、タイパという言葉をよく耳にします。どうやらタイム・パフォーマンスの略だそうです。タイパという言葉を使うとすると、友達関係をタイパで考えるって奇妙な感じがしませんか。効率よく、人数を増やし、効率よく友情を深めていく。やっぱり何か腑に落ちませんよね。

そもそも友情というのは相性もありますが、熟成させていくものだと僕は思っています。それを先入観とか、思い込みとかで片付けられてしまったら、反論の余地もありません。でも、少なくとも僕はそのような関係を望んでいます。「効率よく友情を!」って、ちょっと寂しい気がします。

その場限りの遊び相手や話し相手なら、それで良いかもしれませんが、その場限りの人間関係なら、友達ではないんですよ、やっぱり。もちろん短時間でも一気に親密になったり、そのまま疎遠になっても、何故か親しみや友情を感じ続ける場合もありますが、それは特例だと思います。よほど、通じ合える何かがあるのでしょう。


一期一会。

全員と深くお付き合いしていくことは難しいです。たくさんの出会いや別れを繰り返しながらも、ご縁を紡いでいくというか、ご縁のある人との親交を深めていくというか、僕はそういう方が良いんじゃないかと思っています。もちろん、これは僕の意見なので、それが正解とは言いません。

一期一会。これも大事なんです。友達にはなれなかったけど、その出会いに感謝する。友達じゃない人はどうでもいいというわけではありませんからね。たとえば、この記事を読んでくださっている読者さん。偶然、目にとまって読んでくださっているのかもしれません。そして次回記事は読まないかもしれません。それはそれでいいんです。一回だけでも、一瞬でも、僕の主義主張に興味を持ってくださったことに感謝なんです。

いつも言っていますが異論、反論があっても良いんです。僕はジャッジしたいわけではないので議論は望んでいません。けれども僕の言葉が、何か考えるきっかけになってくれれば、巡り巡って、いつかそれが読者さんにとってプラスになってくだされば、とても嬉しいんです。

好意的に僕の記事を読んでくださっている方がいらっしゃるとすれば、もう嬉しい限りです。そういう方は、きっと僕と波長が合うのでしょう。僕自身の性格の変化も含めて、僕の内面を深く知ってくださっているのだと思います。特に僕の場合、ノウハウ系の内容より、感情むき出しの自分らしさ全開の考え方を書いていることの方が多いですからね。

包み隠さずいうなら、やっぱり僕の根底は、寂しがり屋なので良い意味限定ですが相手にしていただけると本当に嬉しいです。ありがとうございます。別に、無理にレビューとか送ってくれなくて大丈夫ですからね。こっそり読むだけでも嬉しいですから。ネットの時代になって、顔も名前もわからない方と関わることが直接的であれ、間接的であれ増えてきました。どこから、どこまでを友達と呼ぶかはわかりませんが、ひとついえることがあります。それは、「ありがとう」です。

 

欲をいうなら。

微妙に脱線したので軌道修正します。友達について。欲をいうなら「自分が困ったときに本気で助けてくれそうな人」を大事にしてください。一方で「その人が困ったときに自分が全力で助けてあげたいと思える人」と関わってみてください。仕事上では八方美人も止むを得ないかもしれません。でも、仕事だけの関係でも固い絆ってあると僕は思っています。プライベートならなおさらです。

自分の身近に信頼しあえる仲間を少数で良いので確保してください。そうすることで、自分自身のメンタルもかなり安定すると思います。そして、友達かどうか微妙な人でも、可能な限りは礼儀をもって接してください。悪人や利己的過ぎる人でなければ優しくしてあげてください。うまくいけば、それが長い目で見て、深い友情に変化するかもしれません。

一方で、警戒心も持っていてください。人を見極める目を持ってください。悪魔は天使の顔をして近づいてきます。特に現代は、他人を都合よく利用しようとしたり、コントロールしようとしたり、単なる見込み客としてしか見ていなかったりする人も多いです。あなたの大切な時間を、そういう人に無駄に費やさないでください。生きる上で、人間関係は超重要事項です。あなたの人間関係が、益々良くなりますように。

 

  

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