ココロセラピストが考える!『意識高い系』とは?~生き方にはたくさんの選択肢がある~

意識高い系

そういえば意識高い系って結局何だったんだろう?

 

意識高い系って、不思議な表現ですよね。僕も以前は、意識レベルが高い人、とか魂のレベルが高い人、という言葉を多用していました。なんとなく、ニュアンスは伝わってるんじゃないかなって思ってました。

 

ただ、よくよく考えると、意識高い系って、実際に意識レベルが高いかどうかは関係ないんですよね。それっぽく振舞っているからイケている……なんて人も、たぶん、含まれちゃうんですよね。

 

意識高い系を改めて考える。

 

じゃあ、僕の中で意識が高いって何だろうって、改めて考えてみました。それはきっと、その人がその人らしく生きていられる状態なんじゃないかなって思えてきました。

 

たとえば、ちょっとお値段が張るカフェに通って、朝読書をしていたら意識が高いかっていうと、厳密には、まったくそんなことないんですよね。

僕もスタバとかコメダとか大好きなので、気持ちはわかるんですけど、それが意識レベルかどうかは関係なくて。

 

僕も未熟だったので、そういうのがカッコいいと思い込んでいた時期もあるけど、流石に今はそうは思わないです。もちろん、今も、スタバもコメダも変わらず大好きですよ。ただ、それは意識レベルじゃなくて趣味だよねって話です。

 

朝が本当に苦手な人が早起きして、具合が悪くなるんだとしたら、意識が高いかどうかではなくて、別の意識の高め方を考えた方が良いです。というか、朝読書をすれば意識が高いってわけでもないと思うし、カフェに通うのが意識高いってわけでもないですから。

 

優雅な環境で知識を増やしたりスキルアップを目指したりっていうのは、良いことだと思うんだけど、そこにお金を使いすぎてしまったら、悪いことじゃなくても、それって浪費だと思うし。

 

あと、PCが得意だと意識高いみたいなのも幻想ですよ。もし、その幻想が真実ならIT系じゃない人は意識が低いのかってことになっちゃいます。

 

個性って本当に必要なの?

 

意識高い系を考えると、同時に、ありのまま幻想(「ありのままの私で良いのよ」的なもの)、または個性というワードも浮かんできます。

 

ありのまま。良いと思いますよ。それが理想だと思います。ただ、これも何度も話していますが勘違いしないで欲しいポイントです。

 

たとえば、これがありのままの自分なのだと、全裸で外に出たら。間違いなく逮捕されますよね。つまり、そういうことなんです。自分らしさを前面に押し出したい気持ちはわかりますし、解放感もあるでしょう。閉塞感のある生き方なんて誰も望みませんものね。ただ、あからさまにマイノリティな行動を強調しすぎると、風当たりが強くなるという現実も受け入れなければなりません。

マジョリティが偉いわけでもなければ、正しいわけでもないですよ。ただ、人と違った生き方をするってことはリスクもあるってことです。

 

個性があった方が良いかどうかっていうのは、これもまた本音を言えば難しいです。没個性だと、目立たないんです。じゃあ、なぜそもそも目立たなきゃいけないのかって話ですよね。目立たないと、相手にされないからです。

 

たとえば、彼氏彼女ができない。好きになってもらうように良い意味で目立ちたい。就職したい。少しでも自分が強い印象を残さないと不採用にされてしまう。

 

そう考えると目立つことが目的なのではなく、目立つことは手段のひとつなんですよね。なので、厳密には無理に個性全開アピールしなければならないというわけでもないんです。

 

ただ、人と違った自分らしさとか個性とか生き方とか、そういうものを選ぶなら、覚悟が必要なんです。なんでかっていうと、前例の少ない選択肢を選んでいるので難易度が上がるんです。

 

声を大にして叫べば思いが伝わるとは限りません。というと、自己主張、自己表現の何が悪いんだって叩かれそうですが、そういうことではないです。覚悟がない言動は叩かれるだけで何のメリットもないし誰かの心を動かすこともできないということです。

 

あと、たぶんですけど、みんな個性って大なり小なりありますよ。極端に目立たなくても。その個性を潰してしまって、生きづらさを感じるなら、その個性を無理に潰さない方が良いですよ。

 

あと、自分にとって都合がいいことを前面に押し出し、相手の気持ちを全く考えないとか、そういうのは個性でも何でもなくてただのワガママかもしれないので、気をつけてくださいね。

 

人と違った生き方って、たぶん楽じゃないです。じゃあ、多数派と同じような生き方をすれば楽かというと、そういうわけでもありません。ただ、妥協も含めて前例があるから参考になりやすいっていうのと、「みんな同じ」という感覚が共有化されている内は異端な存在とは思われにくいというくらいでしょうか。人は異質な存在を恐れます。だから、「これが私よ!」的なレリゴー的な生き方をするときは、単に清々しいだけではなく投げやり的な開き直りも必要になってきます。これがまた難しくて、自暴自棄になりすぎては自滅するだけなので意味がないということです。開き直りは大事ですが、同様に誰よりも冷静であるくらいの意識が必要です。

 

結論。

 

意識が高いかどうかっていうのは誰にそう思われたいかによります。他人ではなく、自分の人生なので、自分にとって強い軸を作れる生き方が、意識が高いということだと僕は思っています。

 

100人いれば100通りの意識の高さがあると思います。どんな考え方が最高で、どんな生き方が最善かなんて、正解はありません。どんな生き方をするのが満足なのかは人それぞれです。

 

直ぐに理想の自分なんて思い浮かばないかもしれません。セルフイメージがどうとか言われても、しっくりこないかもしれません。目標とかゴールとか言われても、頭を抱えてしまうかもしれません。

でも、少しでも、どういう自分でいるのが、自分にとって望ましいのかは、ときどき、立ち止まって考えてみて下さい。そして、どんどんカスタマイズして下さい。試行錯誤、良いじゃないですか。そうやって、どんどん自分をブラッシュアップしていく。これが自分らしさなのかなって僕は思います。

 

……って、僕が勝手に思っているだけで、これが正解とは限りません。ただ、意識高い系幻想に支配されずに、自分と向かい合ってくれたら僕は嬉しいです。



 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713