私は真面目に生きている!
「私は、真面目に生きているのよ! 誰の力も借りず、自分の力で、今までやってきた! 私は間違ったことは決してしていない! これからも、そうやって生きていく!」と、豪語するタイプの人に時々遭遇します。
そういう人に出会ってしまう度に、僕はちょっと心配になってしまってしまいます。
この手の人って、僕が見てきた限りでは大抵の場合、自分の人生に満足していないような気がしてならないのです。
まぁ、自分の人生に満足していると断言できる人はそれほど多くないと思いますが。
ただ、先ほどのセリフを堂々と言えるタイプの人って、その台詞に必要以上に力を入れて言う気がします。
でも、その台詞の裏に何かが隠れているように思えてならないのです。
真面目ならそれで良いわけではないんだよ……。
まず、「誰の力も借りず」は、嘘です。
赤ちゃんだったころを思い出して下さい。
はい。簡単には思い出せないですよね。
つまり、覚えていないのです。
じゃあ、赤ちゃんが自力で気合と根性で生きてこられますかという話になってくるわけですが、無理ですよね。
一人では衣食住の確保はできません。言葉も話せませんし、コミュニケーションだって取れません。
仮に実の親ではなかったとしても、誰かが育ててくれたから、今の自分があるのです。
自力で頑張った部分は確かに大きいのでしょう。
努力も根性も人並み以上に持っているのでしょう。
僕はそれを否定する気はまったくありません。
ただ、誰かの力を借りて育ってきたのは、ほぼ間違いないので、そこは勘違いしない方が良いです。
「私は間違ったことはしていない!」あるいは「私は悪いことはしていない!」という言葉をよく使う人。
気をつけて下さい。
間違ったことをしなければ、人生がばら色になるわけではないのです。
悪いことをしなければ人生が評価されるわけではないのです。
たとえば、目の前に困っている人がいるとします。
助けなくても罪には問われないと思われる場面です。
助けなくても良いので、助けないという選択をしたとします。
確かに、間違ってないし、悪いことをしたわけではないのかもしれません。
でも、そういう人が、誰かに尊敬されたり、好かれたり、モテたりするでしょうか。
魂のレベルを上げたいのなら……。
自分の中で誰の力も借りず、間違ったことはせず、悪いこともせず生きて来て、これからも、そうやって生きていくと豪語している人の裏には、寂しさもセットでついてくる気がします。
絶対とは言いませんが、その寂しさが、満たされない何かの正体というか、人生に満足できていない原因ではないかと思いませんか。
もちろん、思わなくても結構です。
では、逆に魂のレベルの高い方、そういうスピリチュアル系の話し方ではなく、一般的な言い方をするならQOL(人生の質)の高い人ってどういう生き方をしている人でしょうか。
これも絶対という話ではないので信じなくても構わないです。
僕が勝手に思っているイメージも多分に含まれているのであらかじめご了承ください。
QOLの高い人は、まず、孤独じゃない人です。
と言っても、ひとりの時間がないほど多忙で、常に集団の中にいて誰かと接しているという人のことではありません。
孤独じゃないというのは、チヤホヤされるという意味ではないです。
スゴイ人って、孤独もちゃんとわかった上で受け入れているのです。
でも、「私は、今までひとりで……」なんてことは言わないのです。
言い切ってしまえば、彼らは大事なことを知っているのです。
それは『感謝』と『貢献』です。
「私は、今までひとりで……」系の人って、基本的に他人に感謝していないのです。
もしかしたら感謝という概念が薄いのかもしれません。
たとえば、誰かに優しくされても、それを当然だと思ったり、あるいは反射的に、「そんな事をしてもらう義理はない」と言って善意を突っぱねてしまったりしていたら要注意です。
誰かに優しくして貰えるのは当然のことではないし、善意を受け取れない人というのは、場合にもよりますが、相手を信じていない人、あるいは相手とコミュニケーションを取る意思の無い人と思われてしまう可能性も高いです。
八方美人になれとは言いませんが、そういう人は、集団の輪に入れませんし、生きていくことはできるかもしれませんが、心が触れ合ったり、通じあったりする、人間の根源的な欲求は満たされにくいのではないかと僕は思います。
そして、そういう人は『受け取る』ことができない一方で『与える』こともできないのです。
誰かのために何かをしてあげようと言う『貢献』の気持ちがないのです。
間違ったことをしていなくても、悪いことをしていなくても、感謝の気持ちがない人って嫌われると思いませんか。
嫌われなくても関わりたくない相手として位置付けられても不思議ではありませんよね。
つまり、感謝の気持ちや貢献の気持ちがない人というのは、悪い人ではないと自分では思っていても、結果的に相手に不快感を与えて迷惑をかけている可能性もあるのです。
もちろん、感謝の気持ちを持っていても、貢献の気持ちを持っていても、それが正解とは限らないし、喜ばれるとも限りません。
ただ、自分さえ良ければ良いとは思っていないので、他者からしても「私の事を思ってくれてるんだな……」と少なからず思ってもらえるとは思うのです。
僕は、ひとりでいる時間も好きですし、『ぼっち』に対しても肯定的です。
でも、それを強調して、それが正しいと強がって実は寂しかったり、満たされなかったり……という生き方はあまりお勧めしません。
なんというか、たぶん、程度の差はあれ、『感謝』と『貢献』の気持ちを持っていると、他人からの評価も上がると思うし、自分自身の魂もどんどん成長して行くと思うのです。
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