「○○離れ」は本当に悪いことなのか? ~ココロセラピストが語る! 先入観と誘導~

「活字離れ」はどうだろう?

「活字離れ」についても安易にネガティヴに思わなくても良いのかなと思います。
決してメンドクサイから活字を読まなくなったわけではないと思うのです。

そもそも本当に活字を読まなくなった人が増えたかどうかも疑問と言えば疑問です。
「活字を読む」というと、無意識に本や新聞だと決めつけてかかっていないでしょうか。
これが無意識の恐ろしさです。

みなさん結構、ところ構わずスマホでニュースを見ていませんか。
活字は紙媒体だけとは限らないのです。

僕自身が、こうしてwebライターとして記事を連載しならが、たくさんの人に活字を提供しているつもりです。
読者さんは、しっかりと読んで下さっています。

本音を言えば僕は紙媒体が好きです。

本のインクの匂いや、紙の手触りはたまりません。
かさばるかもしれませんが、データが消えることもありません。
欲を言えば雑誌『トリニティ』も紙媒体で復活して欲しいと心から願っているくらいです。

でも「ネット記事は活字じゃない!」ということはありませんし、きちんと読んで頂けるならネットだって大変ありがたい活字媒体なのです。

そう考えると「活字離れ」そのものが善悪以前に嘘か本当か怪しいところですよね。
「活字離れ? けしからんですな……」と流される前に、まずはそこを考えて欲しいのです。

百歩譲って本当に「活字離れ」が進んでいるとします。
だとしたら、それが本当に問題なのかという点についても、少し考えて欲しいです。

そもそも活字とは情報を伝えるツールのひとつです。
昔は、テレビもラジオもありませんでしたから、活字が大活躍したのです。

でも今では、映像技術が発達したこともあり、動画を送受信することだって簡単にできるようになりました。

情報がきちんと自分に合った形で得られて最終的に届けば、必ずしも活字にこだわらなくても良い気もします。

小説は崇高で、映像ドラマは低俗かというと、決してそんなことはありません。
小説だってアニメだっておもしろいものは面白いし、感動するのです。
そもそも、そこに優劣をつける必要はないのです。
小説向きの作品もあれば、映像向きの作品だってあります。

勉強だって必ずしも参考書を読むだけが勉強ではありません。
現代人は教材用のCDやDVDを使って勉強している人も多いと思います。

誤解しないで欲しいのですが、僕は「活字なんて必要ない。これからは映像の時代だ!」と言っているわけではありません。

度々、個人的な意見で恐縮ですが、僕は紙が大好きですし、活字も大好きなので、僕の本を出してくれるという人が現れたら大喜びで食いつきます。
当然ながら活字の良さをわかってもらえる精一杯の努力もします。

 

「○○離れ」をどう解釈するかはあなた次第です!

「○○離れ」という言葉はネガティヴに捉えられがちですが、必ずしもそうではありません。
世の中はバランスが大事なので、必要なだけ「○○」があれば良いのです。

もし「○○」が消えてしまって本当に問題ならば、問題点も含めてきちんと伝えることが必要なのかなと思います。
そうしないと「へぇ、そうなんだぁ」で終わってしまうのです。

「車離れ」も「活字離れ」も良い面も悪い面もあるのです。
そうやってどんどん変化を重ねて多様性が生まれてくるのかなと僕は思っています。

「車に乗らなくても遠くに行ける!」「文字を読まなくても情報が得られる!」という選択肢が出てきたら、僕は大歓迎です。

「買い物離れの若者」(※物欲がない)だって、浪費しない若者が増えたなら、喜ばしいことではありませんか。
今あるモノに目を向けず「アレがない。コレがない」と不平不満ばかり言っている人たちよりもずっと良いです。

「○○離れ」というキーワードが出てきたら「その背景には何があるのだろう?」と意識してみて下さい。
もしかしたら、そこに次の時代へのヒントが隠されているかもしれません。

 

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