ココロセラピストが考える! 私、引き立て役なんてもうイヤ! ~ 私らしくいきるために ~

引き立て役?

男性でも女性でも『引き立て役』にナーヴァスになっている方は多いです。

引き立て役というのは文字通り、自分が存在することで相手が引き立つこと。

「オレと一緒にいることでアイツが賢く見える」
「ワタシと一緒にいる事であの子が可愛く見える」

つまり、こういうことですね。確かに考え方によっては悲しくなります。
実際に意識して誰かが引き立て役にしていたらメンタルが不調になってしまっても不思議ではありません。

そこで、今回は一緒に『引き立て役』について考えていこうと思います。

 

被害妄想の可能性は?

よほど自信過剰な人でなければ、もしかしたら自分は誰かの『引き立て役』にされているのではないかと不安になることもあるかもしれません。

ただ、この不安は単なる被害妄想だった場合、大切な人間関係をぶち壊してしまう可能性があります。
だからこそ安易に「私、引き立て役なのよね」と決定事項にするのは待って欲しいのです。
いったん保留にしておいた方が良いです。

その1:『自己評価不安』による『劣等感』の可能性を疑ってみて下さい。

相手がどう……という問題ではなく、単に自分に自信が無いだけだったということはないでしょうか。
もしそうだと、自信がないという前提で生きているので、いつ何処に行っても自分は誰かより劣っているのではないかという不安と一緒ということです。
だとすると、引き立て役かどうかは、あまり関係ありません。
『自分VSそれ以外の人全員』という図式が出来上がってしまっているからです。

「私は誰かの引き立て役じゃない!」と叫びたくなる気持ちはわかるのですが、このケースの場合は誰もあなたを引き立て役にしようなんて思っていない可能性の方が高いです。
あなたが勝手にそう思いこんでしまっているのです。

ちなみに告白すると僕は劣等感の塊です。
でも、僕は自分が意図的に誰かの引き立て役にされているとは思ってはいません。

その2:『決めつけ癖』はありませんか?

ちょっと話が変わりますが、どんな話題でも、どんな出来事でも「だから、私は不幸なんだ!」と結論づける人っていますよね。
そういう人がいたらぜひ一度信頼できるカウンセラーかセラピストに相談することを勧めて欲しいのですが、それはそれとして。

これらの共通点は自分自身で勝手に法則性(結論)を決めつけてしまっているのです。
おそらく、数学が苦手なのではないかと思います。

「この三角形が二等辺三角形であることを証明せよ」という問題があったとします。
そうすると、普通に考えれば「二等辺三角形の条件を思い浮かべて、図と見比べてみようー……」という発想になります。
ところが僕のように数学が大の苦手な人は「線が三本あるから、これは二等辺三角形に違いない! 証明終了!」とか滅茶苦茶な証明展開をして完結してしまうのです。
もちろん負正解です。
そもそも線が直線でなければ三角形ですらありません。

何が言いたいかというと、思い込みが強過ぎたりすると前提条件を間違えたまま物事を考えてしまったり、スルーしてしまったりする危険性があるということです。

「私は不幸だ」とか「私は引き立て役にされているに違いない」という前提を勝手に決め付けて話を進めてしまう癖は、とても恐ろしいのです。
もちろん「不幸」や「引き立て役」の可能性がゼロとは言いません。
でも、それは可能性の1つであって「○○だ」で終わらせたり「に違いない」で終わらせたりするのは、危険なのです。

では『引き立て役』を成立する必須条件は何かという問いを僕にするのは止めてください。
そんなこと僕が知るはずもありません。
どうしても気になるなら自分なりの必須条件を考えてみて下さい。