わたし、霊能者になりました ① ~ 人類皆サイキックの事実 〜 霊能生活カミングアウト

【霊能生活カミングアウト】

わたし、霊能者になりました……

こうはっきりと宣言することって、意外に抵抗が生まれるものだなと思った。
はっきり言って超一般人(これが霊能者の対義語として正しいのかはなはだ微妙だが)と自分を認識していた私にとって、この事実は一大事な感じがしたし、もう二度と一般社会の土は踏めないんじゃないかとすら、思ったりもした。

実際、自分の周りにはたくさん「視える」という人はいた。
「感じる」なんていう人はそれ以上にいた。(この時点で「何かおかしい」と気づいても良さそうなもんだと、今なら思える)もっとガチで、「過去生が視える」「ついてる神様が視える」という人とも出会った。
けれどそれは、私にとっては単に「自分には視えないけど、信じてるか信じてないかと言ったら信じている世界」という、ちょっと距離感のある世界だったのだ。

「わー、サイキックな力とかあこがれる! スピリチュアルとか、けっこう好きだし!」と思う人は五万といるだろうが、よく考えてほしい。

じゃあ、
あなたは、
もし本当に霊能者になったとしたら、
その事実を、
今まで付き合ってきた友だちや、親兄弟、彼氏や夫に言えますか。

言えない。
黙ってるの。

 

【職業としての霊能者って、どんな?】

生まれ落ちたその時から、自己紹介の一部に「サイキック能力アリ」みたいに書くことが当たり前の人生を送ってきていたら、全然抵抗なんてないのかも知れない。
はっきり言って、サイキック能力ってすごいなってあこがれるけど、社会的認知度の高さに比べてその信用度と言ったらあり得ないくらいに未だに低いし、スピリチュアルなんてやくざな仕事だという感が拭いきれない。

世の霊能者たちは、職業欄になんて書いているんだろう……? やっぱ、霊能者、って書くのかな。
漫画家は、漫画を描いていれば売れてなくても漫画家だ。
ということは、
霊能者も、できてなくても霊能者って自分で思えば霊能者なのかな?

 

【万人が備えているサイキックの力】

まったくの一般人だった私がサイキック能力について知った衝撃の事実は、

「人類は皆、サイキック能力を持っている」

ということだった。

全員、持ってる? 特別に、選ばれし者だけが備えているわけではないの? なんなのじゃあ、あの特別感は(笑)

全員が持っているものだけど、それを自覚して扱えるようになるためにはちゃんと修行が必要ですよ、ということだと理解すれば、なるほどなと思う。
スポーツと一緒なんだなと思った。

筋肉は、みんなの体に備わっているけれど、「ちょっとそこのスーパーまで買い物に行ける脚力があればいいわ」という人もいれば、「自分、オリンピックで金メダルを狙ってますんで!」という人もいる。
その質は個人個人全く違うものだし、目的によって、鍛え方によって、結果は違ってくる。

サイキック能力も、そんな感じ。

私はすごく意図してというわけではなかったが、いつの間にかオリンピックを目指す側のトレーニングをしていた。
もちろん、筋肉ではなくサイキック能力の。

 

【実録:梵字画が描かれるまで】

梵字画を例にとってみよう。

まず、クリアリングとセンタリングをする。

これは何をするにも必須。
霊能者じゃなくても必須。
日常生活で必須。

その方法は人によって様々だけれど、私の場合は呼吸法でその両方を一度にしている。
深く息を吸って、頭のてっぺんから足の先まで新鮮な空気が体中にいきわたり、肉体の汚れも、エネルギーの汚れも、心の汚れも、すべて一緒に吐く息とともに排出する。
そんな感じ。

呼吸は、もっとも簡単でパワフルなクリアリングとセンタリングの技だ。
外に向いていた意識を、一気に内に向かせてくれ、呼吸に関する以外の思考をすべて停止させてくれる。

そうした状態に入ってから、梵字を描く。

私の腕にはまるで仏様たちのおっきなブレスレッドがはまっているみたいで、それが「ドゥルルルルルルル」って回転して、ガシャーン!!! って、止まる。
止まった時に上に来た仏様が「はい! 私行きます~」みたいな感じで腕を使ってくれる。
ちょっとジョ〇ョっぽい。

完全に、腕が自分のものじゃないという感覚。
仏様に委ねているという感覚。
で、梵字は描かれる。

技術面では、毎日欠かさず、手習いをしていた。

梵字についての勉強も半端なくしたと思う。
エネルギー面では、クリアリングのために呼吸法を欠かさずやり続けた。
エネルギー的に清浄であることは、こうしたクリエイティブなことをする上で、非常に大切なことだ。
そして何より、天とつながること。

そのために、エゴを落とすという心のワークをし続けてきた。
これがなんと言っても、サイキックな力を扱う時の重要なポイントであると私は思っている。

その助けとなるのが、心の成熟を扱ってくれる先輩霊能者でヒーラーのりえちゃんであったり、マスターのブッダであったり、その教えの八正道であったりする。
そんな生活をもう何年もしていたりする。

そうした積み重ねがあったればこその、「ドゥルルルルル」なわけ。

 

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