【 狐眷族『長老』。祠に集まるモノ達に説く…… 】
「相模や坂東は日本武尊(やまとたけるのみこと)様の東征でヤマトの国に併合された。
これは前に話題になったねぇ。
日本武尊様は父帝、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)様に命じられて九州や山陰にも、西征されておられる。その際併合した土着の豪族たちには、その土地に合ったヤマトの技術や文化を伝授した。
鉄を産出する地域では製鉄の方法をね。
時は500年程流れ、ある地域で製鉄の技術で作りあげた堅牢な防具に身を包んだ賊集団が暴挙を繰り返して人々を苦しめる。
賊集団の製鉄の技術は、昔彼等の先祖に日本武尊様が伝えた技術でね、天界の神となってそれを見ていた日本武尊様はそれを憂いて、製鉄集団の先祖のボスを前世に持つ藤原秀郷に、その成敗をさせるべく白羽の矢を立てたのさ。
藤原秀郷の前世は、日本武尊様と戦って負け、一族と領地の民のためにヤマトへの降伏と併合を決断した人物なのさ。
で、併合後は日本武尊様から製鉄技術を伝授され農具や武具の生産で領民やヤマトに貢献した豪族だった。藤原秀郷は日本武尊様に選ばれ、導かれ、賊集団を鎮圧する。
この話は『俵藤太(藤原秀郷の別名)の大ムカデ退治』の伝説になっているよ。
『鉄製のムカデのような硬い装甲の賊』を討った話が、ムカデを退治したになったんだねぇ。
そういう浅からずの縁から、日本武尊さまは藤原秀郷の夢にあらわれ、弟君の最期を看てほしいと望まれたのだね。
そしてだ、平将門さまの終焉の地として導かれた地には、星宮神社が多数あった。どの社もかつて北斗七星が刻まれていた。
その辺りには、星宮神社と呼ばれる祠や小さな社が多く点在する。日本武尊様がそこに住む人々のためにヤマトの呪いを封じた痕跡さ。
星宮神社が多いのは二つの理由がある。
一つは、古来から豊かな内陸に土着の豪族の集落が栄え、古代ヤマト王朝を敵とする地域だったから、平定を望むヤマトから重い呪詛をかけられたせい。
もう一つは、その先祖の仕掛けた呪詛を封印する日本武尊様の力が弱まっていたために、広範囲に封印を施せず、狭い範囲にたくさん封印の儀式をせねばならなかった。
これは双子の弟が、今の埼玉秩父付近で病のため落命して、一人で封印をせねばならなかった為だ。
武力と知力に長けた兄に対して、弟は直感と霊能力に優れていた。二人が協力してこそ数々の苦難の解決や平定できた地域の呪詛の封印が無事に成されて来た。
後年、日本武尊様は神である白い猪を、山の神の眷族と誤認して毒気に当たり病に倒れるが、兄弟が揃っていたならば判断を誤る事は無く済んだかもしれない。
ここまでで皆からの質問の二つには答えたかねぇ。