毎年微妙に日にちがずれる春分の日。それはなぜかご存じでしょうか?
私たちの住む地球は、太陽系に属する惑星の一つとして365.2422日(365日5時間48分49秒)かけて太陽の周りを一周しています。
この365日と約6時間を、一太陽年とか一回帰年と呼んでいます。
この一太陽年を暦の一年。つまり暦年として成立したのが太陽暦です。
ただし、一暦年を365日とすると4年で約1年のズレが生じ、40年で10日ものズレが生じてしまうため、閏月(うるう月)や閏年がつくられたのです。
地球が春分点を通過してから、次の春分点を通過までにかかる時間は、この地球の公転でわかるように365.2422日です。
例えば1996年の春分(の瞬間)は3月20日17時03分。
その翌年の1997年は、その6時間後の3月20日22時55分。
1998年は、さらにその6時間後3月21日4時55分。
1999年は3月21日10時46分と、
春分は毎年約6時間ずつ遅くなっていきます。
そのために春分の日の日付がずれることがあるのです。
しかし、どこまでもずれ続けるのではありません。
2000年は閏年でしたので、1年の日数が平均より1日多く、366日あり、そのため 春分は6時間遅れると同時に1日早い日付となり、1996年の春分の時刻に近い3月20日の16時35分になりました。
この春分が「彼岸の中日」と一致するようになったのは、江戸時代の「天保暦」からで、それまでの暦法では必ずしも一致していませんでしたが、おおよそ春分・秋分に近いころを中日としていました。
「昼夜半分」と言って日の出から日没までの昼の長さと、日没から日の出までの夜の長さがちょうど等しくなるころです。
また彼岸のころは、太陽が真東から昇って真西に没するが、この日没の方向に阿弥陀如来の極楽浄土があるという、西方浄土説が信じられ、これが「彼岸」の由来でもあります。
「彼岸」と言う言葉は「彼方の岸」と書かれているように、
向こう岸を表わしています。
つまり、仏様がすんでいるあちらの世界のこと。
反対に迷いや煩悩にあふれたこちらの世界を此岸(しがん)といいます。
この迷いや煩悩にあふれた世界の此岸から、悟りを得たあちらの世界の彼岸へ心を鍛える期間として、お彼岸の7日間が妥当であったのでは。と言う説もあります。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、長い冬の寒さも春の彼岸の頃には終わりを告げ、うららかな春の気候となり、日頃の迷い煩悩を一度リセットできるようなお彼岸の7日間にできると良いですね。