新・神々の履歴書13回  「どろろ — 醍醐景光が契約した鬼神は誰か?」 — 赤き竜・カバラの大天使サムエル — 上

どろろ

こんにちは。マユリです。

手塚治虫の「どろろ」 — 父・醍醐景光と長子・百鬼丸

手塚治虫の漫画に「どろろ」というのがあります。

冒頭、醍醐景光となる大名が天災や飢饉で疲弊した領地を守るために、鬼神に嫡男・百鬼丸を捧げます。
その結果、百鬼丸は48の鬼神(アニメでは12の鬼神)に手足目鼻などの体のパーツをすべて奪われ、顔のない芋虫のような状態で川に流されます。

母親が帰依していた観音像が身代わりとなったおかげで、一体の鬼神が百鬼丸の最後のパーツ・魂(心臓)を取り損ねたので、命だけは助かったのです。

16年後、成長した百鬼丸が、次々と鬼神を倒して、奪われた体のパーツを取り戻していくというストーリーです。

もちろんこれは架空の物語ですが、「崖の上のポニョ」でも申した通り、芸術家のインスピレーションは、しばしば無意識に見えない世界のビジョンをうけとることがあります。

手塚治虫はなにを受け取ったのでしょうか?

 

鯖江の子供の生贄=鯖目殿の子供の生贄

「どろろ」の中に、「鯖目という名の領主が、鬼神に孤児たちを生贄にさしだし、見返りに領内は繁栄し続ける」という逸話ができてきます。

10年ほど前でしょうか、鯖目ならず鯖江市の方が除霊に来られたことがあります。
今の家に引っ越してから、鬱状態になったというのです。

その時出てきた霊体が、生贄にされた3人の子供でした。
今は住宅地ですが、ビジョンの中では、そこは湿地帯でした。

飢饉にあえいだ村人たちは、3人の子供を生贄にします。
2人は10代前半くらいの女子、12歳と14歳くらいでしょうか……姉妹の様です。
もう一人は10歳足らずの男児、一番抵抗しています。
みな貧しい子供の様でした。村人たちは、三人を縛って生きたまま沼にほりこんだのです。

セッションのあと、「近所のゴミ捨て場に、なぜか古いお地蔵さんがあって……なんでこんなところに……って不思議に思っていたんだけど、納得しました……」とのことでした。
その方の家のあるところは、昔は沼地で、子供の霊を慰めるために、湖畔にその像はたてられたのです。

この方には、他にもたくさん憑依霊が憑いていました。
その沼は、生贄にされた人々の無念と恨みにみちており、無念は無念をよび、死霊は死霊を引き寄せたのです。

「どろろ」では、鯖目様の領内は、平和と繁栄を享受していますが、実際にそんなことはありえません。
万一、生贄で一時的に繁栄を手にしても、それは束の間の夢、次第に怨嗟の念が渦巻く負のエネルギーの土地になっていきます。

私が鯖目様のお話を知ったのは、2019年1月度から放映のYVアニメ版「どろろ」をみたときでしたので(過去のアニメと漫画の原作はみていません)、過去にみたビジョンとあまりに似ており、大変驚きました。

手塚治虫が、まさか鯖江の子供の生贄の話を知っていたとは思い難いですし、偶然にしてはできすぎていて、ちょっとぞっとしました。
これが、芸術家のインスピレーションというものでしょうか。
優れた芸術家は、あるいみ優れたサイキックなのかもしれません……

 

諏訪湖の生贄の儀式

乱暴に沼にほうりこんだ鯖江の生贄と違って、「神々の履歴書 第7回 続・京都の神様と旧約聖書 — 祇園祭と諏訪の神様 — 神に捧げられた少年①」で語った、諏訪湖の生贄は、もっと厳格な作法に基づいていました。

どろろ

5才くらいの男児が、棒にくくられて数日放置されたのちに、木の杭で胸(おそらく心臓)を貫いてとどめを刺されました。
まるで、ドラキュラの復活を拒む儀式のようです。

その後、遺体は、綺麗に死装束を施され船に乗せられます。
船には穴があけてあるのでしょうか、だんだんと沈んでいき、湖の中に消えていきました。

どろろ

諏訪大社は、ユダヤ人渡来説との関係がとりざたされているところです。
この生贄の儀式は、ユダヤ伝来の生贄の風習と関連があるのかもしれません。