筆名と本名のあいだ①~姓名判断から近代の文豪を解剖する三島由紀夫(1925~1970)編

三島由紀夫は、早くから自決の日を11月25日に定めていました。 この日は、彼の誕生日の、ちょうど四九日前にあたります。

作家の本名とペンネームを、姓名判断で対比してみる

『TRINITY』読者の皆様、はじめまして。八田靖彦と申します。

私は90年代末より、姓名判断を専門に、占い師としての活動を行っています。

2005年からはネット上に占いのブログを立ち上げ、長年の研究成果を随時発表しています。
開設から12年で延べ300万以上のアクセスを頂き、赤ちゃんの命名の際はご両親の参考にして頂くなど、それなりの評価も頂いているようです。

今回は、ご縁があり、『TRINITY』の貴重な紙面で拙文を発表させて頂くことになりました。

この稿では、私が大学の文学部出身ということもあり、日本を代表する近代の文豪をテーマに、専門の姓名判断と絡め、社会的に名を成した筆名(ペンネーム)と本名とでは、どちらが本人の人生に大きな影響を及ぼしたのかを、解剖してみたいと思います。

 

作家・三島由紀夫と本名・平岡公威のはざまで

第1回となる今回は、三島由紀夫を取り上げます。

“昭和の文豪”と聞いて日本人が想起する人物の中に、必ず入っていると言っても差し支えないのが三島でしょう。
市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、衝撃の割腹自殺を遂げてから今年で47年。
数々の名作を発表し、富と名声を恣(ほしいまま)にした彼が、なぜあのような最期を迎えねばならなかったのか。

筆名「三島由紀夫」と、本名の「平岡公威」を比べながら、考えてみましょう。

(画像提供・ウィキペディア)

 

姓名判断の基本事項の確認を

まず、姓名判断の基本事項を記します。

“人格”とは、姓の最後と名の最初の字数の合計。主に30代~50代の運気を支配します。
“外格”は、姓の最初と名の最後の画数の合計。人間関係の幸運・不運を表します。(“由紀夫”のように名前が三文字の時は、姓の最初と名の最下部の2文字の合計をカウント)。
“地格”は、名前の画数を合わせた合計。
基礎体力や金運、恋愛運と幼少期~青年期の基本運勢を支配します。
“総画”は、姓名の全ての画数を合わせたもの。
人生全般のおおまかな運勢と最晩年を表します。

 

筆名にある『由』『紀』の象形文字の語源とその凶意

筆名『三島由紀夫』は人格15、外格16、地格18、総画31で全てが吉数です。

学習院在学中から天賦の才能を現し、最晩年はノーベル文学賞候補にも挙がるなど、文士としては頂上に上り詰めたと言って良いでしょう。

ただ、『由』の字は、木に生っていた果物が熟れて落ちる姿を表した象形文字です。
天才と謳われた裏では、常に才能の枯渇に怯えていたことが窺えます。

そして紀』の字など糸偏の字の起源は、『布』や『織』、『麻』と同系列で、古代に死者を弔う時に用いた道具から来ています。この系統の漢字が名前にあると、何事も心配事が多く、精神的に苦痛を負う暗示があります。

やはり、名作を生み出し続けるという極度の緊張の中で、芸術家の宿命ともいうべき“死“の恐怖と戦う生活を強いられていたと推察します。

一方、本名の『平岡公威』は人格12、外格14、地格13、総画26と、地格が大吉数以外は全て凶数です。

良家の跡取りとして不自由のない生活に恵まれた少年期でしたが、この時期には実母ではなく祖母に育てられ、溺愛されたことが後の彼の兵役忌避や同性愛嗜好に繋がっていったと推測されます。

外格の14画はセンシティブな性格で、芸術家としては成功を収めますが、神経質で一般社会での生活では凶意が強くなります。

完璧主義者だった彼は、身長が低い(161cm)ことも大きなコンプレックスであったらしく、それをカバーするために肉体改造や国粋主義に傾倒したと考えられます。
その帰結が、あの衝撃の、自衛隊駐屯地での割腹自殺であったと言えましょう。

(画像提供・ウィキペディア)

 

天才作家が死を選んだ日、その意味とは

三島由紀夫は、早くから自決の日を11月25日に定めていました。
この日は、彼の誕生日の、ちょうど四九日前にあたります。
仏教では、死者が冥界に旅立つとされる最後の日です。
彼自身が生前に語った、『人生を物語の中に埋めてしまはうという不逞な試み』を、見事に実践してみせた最期であったと言えるかもしれません。

あの日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に散った天才文士・三島由紀夫は、来世、どのような姿となって転生するのでしょうか。
和な世にると書いた“平成”時代が間もなく終わろうとしている今、改めて『豊饒の海』を読み返してみたいと思います。(了)

 

八田靖彦(姓名学者・八田運命総合鑑定所主宰)