私が住んでいる湘南界隈、特に逗子・鎌倉・葉山では、例えばライブやワークショップを開く時の料金をドネーション制にするという試みがしばらく前から始まっています。
資本主義のその先、次のステップを見据えてのことで、
ドネーションというのは一般的には寄付と訳されることが多いと思いますが
ここでの意味は自由料金制です。
つまり提供者側で料金を設定するのではなく、受け取る側が価値を感じた分だけ料金を払うということです。
先日もドネーション制のライブを見てきました。
1時間半くらいのアイヌ民謡のライブでした。
さて、あなたならいくら払いますか?
自由料金制だから、いくら払ってもいいのですよ。
……こうなると大抵の人は困りますね。
いくら払ったらいいのかわからないから。
それが自分にとってどのくらいの価値があったのか?
その価値をお金に換算するといくらなのか?
あるいは相手の才能や相手がその為に費やしてくれた時間や手間や
そういったことに敬意を払うと考えた場合にそれはいくらになるのか?
そもそもそういったことに対して
こちら側で料金を決めるというのは何だか傲慢ではないか?
そんな疑問も湧いてくるかもしれません。
でもあなたはここで答えを出せる必要があります。
そうするとお金の使い方がたぶんうまくなるし(自分の基準ができるから)
何よりもこの先、遠くない将来に資本主義は崩壊するでしょうから
私たちはお金やその他の交換の仕方について新しい概念を作りだす必要があるからです。
ドネーション制というと
「じゃ、100円でもいいのね」という方がいます。
その方にとって、受け取ったものの価値が100円ならそれでいいでしょう。
でも安ければ安いほどいいから、というのはちょっと違うかな
と思うのです。
それは相手の仕事にも失礼だし、それを受け取る自分にも結局その価値しか認めない
ということになるし、かつ、私はそれしか払えません、と自分の可能性を制限することにもなるからです。
例えば、3000円のものと1000円のものがあったとして、いつも1000円のものを買う人は、自分の価値は1000円と言っているのと同じことですね。
また自分が躊躇なく支払える金額は、自分が受け取る金額でもあると言われます。
同じく3000円のものと1000円のものがあった時に、3000円を払える人は、3000円くらいすぐ入ってくる、と思える人です。
そうなると稼ぐ力(あるいは受け取る力)とも関係しそうですね。
もう一つ、ちょっと難しいと思うのは、等価交換である必要がある、ということです。
本来は交換なのですから、例えば大根100円というのは、大根そのもの+大根をつくる手間暇と100円が等価でなくてはいけないわけですが、どう考えても大根1本作る手間暇が100円のわけないですよね。
だからやっぱりそれは作っている方が無理しているということです。
この無理は農薬やその他の問題に転化されるでしょう。
100円(またはそれ以下)で大根を作るためには使わざるを得ないでしょうから。