●悟りって何でしょうか?
こんにちは、杉浦優司です。
今日は、最近質問を受けた「悟りとは? 」について綴っていきたいと思います。
みなさんは悟りと聞くと何を思い浮かべますか?
お釈迦様や聖人と呼ばれた、たくさんの偉大なる方々……。
悟りを開かれた方はどことなく近寄りがたい雰囲気を持っていそうなイメージがありませんか?
実際のところは、どうでしょうか?
そもそも悟りとは何でしょうか?
悟りをシンプルに捉えれば、物事の真の意味を知ることであり、物事の真の意味を理解しているということです。そして、悟りを開くとは、そのような本質に気づける状態(察知できる状態)になることです。
私達が目にしているものは全て本質ではありません。例えば、目の前にコップに入った水があったとします。これを単に「コップに入った水」として捉えているのであれば、悟った状態とは言えません。それは、目の前にある「コップに入った水」は幻想であり、本質ではないからです。
本質でないからといって、それが悪いというわけではありません。普通に生活するだけであればそれで十分だからです。
●悟りは魂から発せられている本能的な欲求
では、なぜ人は悟りを求めるのでしょうか?
もしも悟りに全く興味がなければ、それはそれで幸せなのかもしれません。それは、今の人生において(不平不満があったとしても、)この世界の本質については何ら疑いのない状態であり、疑問を抱く必要の無い状態だからです。
それでも、人は早かれ遅かれ悟りを求めることになります。
それは、それが魂から発せられている本能的な欲求だからです。だから、ある日突然心のスイッチが入り、悟りを求めるようになります。そうなると、その欲求は人生の最も優先度の高いものとなり、目の前にある本質を見えなくさせているベールを取り除くプロセスが始まります。そして、人として本質を生きる道へと歩み出すことになります。
●本当の意味での悟りとプチ悟り
悟りが開かれるとどうなるのでしょうか?
一言で言えば、何も変わりません。
でも、同時に全てが変わるとも言えます。
悟りを開いたからといって、いきなり神になるわけではありません。肉体がある限り、人はこの肉体の恩恵と同時に制限を受けることになります。でも、悟りが開かれると、同じ場所にいながら住む世界が変わります。それは、世界の見え方や感じ方がそれまでとは全く異なるものになるからです。
では、悟りの道は遥か遠くにあるのでしょうか?
本当の意味で悟りへと到達したいのであれば、適切なタイミングに乗りながら相応の努力が必要となります。でも、そこまで到達する前に、実は誰もがプチ悟りとも言える小さな悟りを繰り返しています。
その小さな悟りとは何でしょうか?
それは、「気づき」と呼ばれる意識の変化です。気づいた瞬間、世界のあり方は変化します。通常それは小さな範囲でしかありませんが、積み重なると人生に大きな変化をもたらすことになります。
●プチ悟りへと導かれる3つの要素
では、どうすれば「気づき」の多い人生を生きることができるのでしょうか?
そこで必要となる要素は次の3つです。
1. 当たり前だと思っていたことが、実は当たり前でないことを意識する。
2. 「気づき」を共有できるメンター(心の師匠)や仲間を持つ。
3. 気づいた瞬間から行動を変えていく。
実際のところ、この世界に当たり前など何一つありません。ただ、当たり前と思いこんでいる「私」がいるだけです。そこに気づくことから、悟りへの道が始まります。
人は高め合う仲間を選ぶこともできれば、落としあう仲間を選ぶこともできます。どちらも一人ひとりの選択です。そういう意味で、よきメンター(心の師匠)や仲間を持つことは自分自身を高める最も近道であると言えます。
そして、気づいた瞬間から行動を変えていくことで、さらなる気づきを人生にもたらすことができます。逆に言えば、行動が変わらない間は、まだ気づいたつもりになっているだけかもしれません。
実際、意識が変わると世界のあり方が変わります。世界のあり方が変わると行動が変わります。行動が変わると現実も変わります。
いかがでしたか?
悟りについてもっと詳しく聞きたくなったら、私に会いにきてくださいね。それだけで、悟りへの扉が開かれるかもですよ。
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