もしも私が神様だったら
幸せであることは大切だろうけど、
幸せじゃないって状態も、やってみたかったことの一つかもしれない。
この世界には『体験』をするためにやって来てるっていうもの。
何事もやってみないと、わからないもんね。
『足りてない』より『足りている』ことに
フォーカスしましょうって言うけれど
もしも私が神様だったら、
足りてないものなんか最初からないんだろうから、
足りないって何? どういう感じ? って思うかも。
だとしたら、
足りてないって感覚も、一度は味わってみたかったことかもしれない。
そしてそれを十分やり尽くした、もういいよって時が来たら次に移るんでしょう。
でも、もし何かへの執着がなかなか手放せないというのなら、もしかすると執着してることを自分が認めてなかったり、味わい切れてないから、まだ手放せないのかもしれない。
それとも固執してる時間が長すぎて、出口がわからなくなっちゃったのかな?
それでも、自由意志っていう
恐ろしく器の大きなものを与えてくれる神様は
私たちを責めたりしないでしょう。
何をしてもいいのだと許してくれる、
そんな神様が「これはダメだ、あれをやれ」
などと指図、制限しないでしょう。
そもそも私が神様だったら、
正しい正しくない、好き嫌いという概念もなさそうだけど
そういう両極を味わうのも
一度はやってみたかったことかも知れない。
片方しか知らなかったら、
もう一方を知りたい! 味わってみたい
と興味を持つのも自然なことに思えるもの。
ワーワー泣くのも
アァ、幸せ♡って、うっとりするのも
神様視点から見たら、どっちも楽しいのかも。
この地上に来るのだって、お城の中しか知らないのはつまらないと思うお姫様が、変装して町で平民の暮らしを味わってみたいって思うのと、どこか似てる気もする。
最初はお姫様みたいに、やってみたかったことをやりに地上に来た。
もしかしたらどこかで少しこんがらがっちゃって、
迷子になっちゃってる部分があるとしても
遠回りも下手な生き方も失敗も
やってみたいことの一つだったかもしれない。
間違いも正解も本当はない。
ただ「その結果がこうなった」っていうだけのこと。
良いも悪いも、なんにもない。
そう考えると、どう転んでも良さそうだ。
命ある限り、逆転ホームランを打てる気もしてくる。
もしも私が神様だったら、
もうちょっとくらいは自分に優しくしても良い気がしてきた。
神様が地上に降りて人間になって
あーだこーだやるのは全部チャレンジなんだもの。
そしてもっと自分を信頼してもいいかもね。
自分を狭めるのは誰でもない、自分自身だろうから。
自分として生きるのに必要なものは全部持って来てる。
だから大丈夫。
もしも私が神様だったら、きっとそうに違いない。
本当はね、それを忘れちゃってるだけかもよ。
もしも私が神様だったら
もしもあなたが神様だったら
*dahlia ライブ情報*
2016.10.22(SAT) @大阪 難波artyard studio
SOUND TRACKS Vol.1『映像への音楽? 映像的な音楽?』
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