「わたしは誰?」
「わたしは何を欲しているの?」
「わたしの魂はどのような人生を望んでいる?」
「わたしは今日一日、わたしに正直だっただろうか?」
僕自身、さまざまな問いかけを自分自身にすることがあります。
それはあたかも自分だと思っていた自分のエネルギーに氣付くためです。
僕が父親という役割を演じているために、どこかにある「父親ならこうすべき」という他人のエネルギーを拾ってしまうこともあるでしょう。
また、息子として実父の「おまえにはこう生きて欲しい」という期待や願いに沿おうとしてしまうこともあります。
あなたは、1日でどれくらい、自分でいる時間があるでしょうか?
僕たちはひょっとしたら、親の期待する人生を生きていることも、子どものために何かを抑えて生きることも、社会人とはそういうものだと思って、感情を抑えて生きることがあるかもしれません。
自分だと思っていた意志決定が、「人のもの」であることは少なくありません。
「その制限がなければ、わたしは何をしたいでしょうか?」
そのような問いかけを自分にしたところで、仕方がない、意味が無いと思ってしまうこともあるかもしれません。
そんなことをして何の意味があるの? という怖れからの疑問に、僕たちの「根拠のない直感」は無力です。
しかし、自分や天に答えを求めずに問いかけていると、自分自身のエネルギーが充実していることに氣付くでしょう。
エネルギー管理のために、自分自身や天に問いかけるという感覚を日常で試してみるのはどうでしょうか?
憑依やサイキックアタックを受けやすいとき、それはエネルギー管理が上手く行っていないときです。
エネルギー管理ができず、「何となく自分らしくない自分」で生きていれば、自由意志の力は弱まり、浮遊している靈体や人の感情、過去生からの影響が出やすくなるでしょう。
エネルギー管理は人生管理。
では、どうすればエネルギー管理ができ、軽やかに自分の魂が望む人生を生きられるのでしょうか?
(続く)
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