オーストラリア Temple Of New Dawn 夜明けの寺院から〜Amalin Story #8〜『愛すべき隣人サムのプレゼント・プレゼンスからの気づき』

あなたはどういう未来を選びたいですか?

〈人類の行方は?〉

暖かなハートを持ったサムみたいな人がもっといっぱい存在していたはずのこの惑星地球号は、今とても大変な状況に陥っていると感じます。計算のない純粋な愛がこの地球号からどんどん消え失せている感じがしてなりません。どうしても何かと交換することでしか、仲の良い親密な関係ですら成り立たない、そんな世知辛い世の中になってしまいつつある感じがしてなりません。特に大都会では、世界中がそんな風になってしまいました。

それは、全てがお金中心の世の中になってしまったからだといえます。1日約8時間仕事して6000円〜20000円くらいのお金を交換でもらって生きているのが普通の人です。学歴や技術があるともう少し余分にもらえるのですが、命を切り売りして生きているには違いがありません。

おそらく戦前戦中はそういうことはなかったでしょうし、戦後の産めよ増やせよの時代から高度成長期の日本ではバブルがはじけた1989年くらいから90年代までに掛けては、まだもう少し人間的で楽だった気がしています。

2001年以降インターネットができてから、急速にどんどんスピードが上がり、今となっては人もコンピューターの一部みたいに、ポケットの中に入れた小さなコンピューター(スマホ)に操られて生きている。
そんな私達はネットスピードで生きていて、手にスマホを握りしめて片時も手放すことができません。ついにはコンピューターを開けないでもスマホですべての仕事ができるようになってしまい、これは、とても便利な時代到来というわけです。
とはいえ、便利さと引き換えに、私たち個人の一息つける時間やスペースはどこに消えてしまったのでしょうか?

携帯が人生に入り込んでくる前はもっと自由なスペースがありました。なぜかどこかでその危険さを知っていたからこそ、私の場合はできるだけ携帯を持つまいと、初めの7年くらいは携帯を握らない生活を押し通していましたが、時代の流れと仕事にならないという理由から仕方なくガラちゃんを二台くらい続けて持った後、iPhone4に切り替えた途端、その便利さとカメラの性能の良さに一気に引き込まれてしまいました!
それから iPhone6 が出てSIMフリーになった途端に高価なのにもかかわらず、海外との行き来に便利だから(携帯を二台持ちする必要がなくなる)と、128GBの機種をすぐに購入しました。ゴミを出すのが嫌いなのと今もそれで十分満足なので、まだアップグレードしていませんよ。

それ以来、私の手にも iPhone が握りしめられる日々到来です。本当に便利でほとんどの仕事は iPhone で片付けます。まるで、事務所と秘書が私の手の中にいるみたいですし、ある時にはボーイフレンドの代わりにすらなりえますし、しかも決して寂しい思いはさせない信頼できる裏切らない恋人です。私の瞑想のマスターOSHOの講話も、音楽も、パワポも、ビデオすらも入っていて、これ一丁あればどこにいても、ありとあらゆるワークショップが営めるくらいに相当便利です。

まぁ〜、なんと便利な世の中なことでしょうか?

でも、ふと思い出します。
便利さの背後に隠されているメフィストフェレスのお話を。
悪魔メフィストフェレスに魂を売った人のお話です。

私たちはインターネットという名の悪魔に魂を奪われつつあるのではないでしょうか?
魂を吸い取られ、仕事すら「A.I.」に奪われつつあるのではないでしょうか?

「A.I.」が雑多な仕事をしてくれたならば、今まで人がやらねばならなかった仕事は一気に少なくなるから、その内にベーシックインカムが世界中で開始される日は、すぐそこまで来ているのではないでしょうか?

本当にそうなって、お金の心配なく、人々は本当にしたいことだけをして、人しかできないこと(アートや趣味や子供と一緒に成長していかれる子育てや生きがいなど)だけをして、楽しく楽に生きていけるような世界がやってくるのじゃないでしょうか。皆んながハッピーで笑顔でいられる世界です。

そういう時代は起こり得るのです!

今の時代はそのチョイスの狭間じゃないでしょうか?
どっちの在り方に転じるのか?
ここの違いは大きいと感じています。

あなたはどういう未来を選びたいですか?

選んでビジョン(想像力)をもって生きることが、リアルで本物の現実を構築する大きな力になり得ると思います。
できるだけ多くの方がそう思い描いて生きることが、今とても大切です。
1%効果といいますが、100人に一人の方がそう思い描ける時代は『今ここ』以外にないのじゃないでしょうか?
これほど期が熟している時は、未だかつてなかったでしょう。

愛を生き信頼することにベースを置き、意識して生きていくのか?
恐怖にベースを置き乗っ取られたまま、無意識に生きていくのか?

今、瞼を閉じ瞑想して、真の答えに耳を傾けてみてください。
内奥から聞こえてくる何千年何万年にも及ぶ渇望である小さな内なる声に耳を傾けてみてください。

私の答えはすでに決まっています。
愛と瞑想の道を選び、意識してその道を一歩一歩歩んでいきます。
それ以外に私には選択の余地はないと、ずっとずっと昔から知っているから。