【私が変わった瞬間・今ここ・スピリチュアルな旅の始まり始まり!】Amalin Story #2

皆さんは、本当に何世紀もの年月を巡った旅ののち、再び出会えたのだと強く感じられるパートナーはいますか? Amalinさんの瞑想のマスターOSHOに出会う旅のプロローグ。若かりし頃のとても素敵な、そしてとても衝撃的な出会いのお話しです。

 

【太母(たも)さんとの衝撃的な出会い!】

1888年までの四年間の北米滞在から帰国後、1989年10月頃に韓国経由でインドに飛ぶ計画をたてていた。私の瞑想のマスターOSHOに出会う旅のプロローグ。

1988年8月8日8時8分8秒。
八ヶ岳での「いのちの祭」を通して、太母さんという名の今まで出会ったことのない一風変わっていて、たいそうおとなの女性覚者の存在を知った。8月末に鎌倉にある彼女の開祖した「仏眼宗」の寺を初めて訪ねた時から、私の人生は一変した。
本当に何世紀もの年月を巡った旅ののち、彼女とこうして再び出会えたのだと、今は強く感じられるが、当時の若かりし私には知る由もない。

こんな感覚で人と出会ったことは、これまでなかった。
度肝を抜かれた、衝撃的な出会い!

 

【十方無限(じゅっぽうむげん)、光のかなたへ】

彼女は真っ白な着物姿で、くるっと肘を曲げて袖を宙に浮かせ『やぁやぁやぁ~』と唄うように、子供がするような無垢な仕草で、太母式玄米菜食の特性昼食を噛みしめて食べていた私の前に、奥の間から突然あらわれた。

彼女は光り輝いていた!

煌々と背後の薄暗い日本間を照らし出すほどに輝いていた。
こういう人に目の当たりで出会ったのは、生まれてこの方初めてのこと、私の全存在のうぶ毛が逆立ったようにすごく新鮮で驚異的だった。
生まれたての赤ちゃんのように素っ裸なまま、すごく素直に彼女と向きあえていた私。
きっと、その瞬間の私も輝いていたのだと思う。

そして、唐突に彼女は聞いた。禅師が弟子に与える考案のように
『あんた、十方無限って知っとるか?』

いきなり、飛ばされた意味不明の質問に「……???」

分けの分からないまま自然に沈黙し、時空を超えて、内側を観ていた私は
「自分が世界の中心にいる。八方向に天と地の上下方向が加わり十方向、その中心に自分がいて十方無限でしょうか?」

と、考えられないからこそ、サラッと答えが流れでてきた。考えてたら絶対に出ない答えだともいえる。

 

不思議な空間。時空を超えている光の世界。

すると『お~、そうか、さすがじゃのう〜。あんた、名前はなんか?』と太母さん。

「青山ひづると申します。」と私。
『お~そうか。それは奇遇じゃのう。ひづるとしずる(静流)か?』とまた感嘆する太母さん。

『わしの娘が静流というのじゃ。わしとあんたはもう結婚してしもうとるからのう……ゆっくりしていけ~!』と、いきなり、初っぱなから超ウエルカムで、心底喜んでいる様子の太母さん。

そのまま三日三晩、家族以上に親密であり、善し悪しなどの一切の批判もなく、何かがとても懐かしく居心地よくて、昼夜かまわず一緒に過ごさせていただき、時は一気に過ぎ去った。太母さんには時間や空間の制限・制約もなく、突然、食べている最中に「あら、いきなり寝ている?」と思うと、かたや夜中の二時でも突然起きだして、元気に不思議な面白い話をし始める。朦朧と眠い中にも、ロバのように耳だけはそばだつ。

『あんた、ワシの横に来てこういう風に寝てみい!』と、こたつで一緒に雑魚寝している私達に向かって言い、釈迦の涅槃に入った時の姿勢を実際にやってみせ、皆んなにも実践させる。

その瞬間に私の体内記憶に叩き込み、その上に
『瞑想はせんでもええ、お釈迦さんも6年間の厳しい修業や瞑想のありとあらゆる全てを体験したんじゃが、悟ることができんかった。がっかりして諦めた瞬間に、こういう風にして何もせんうちに涅槃(大悟)に入ったんじゃ~』と手放した後の涅槃の姿勢の大切さを、突然その場で伝授する。