ユニバーサル・タイミング(宇宙のタイミング)の大局観をシンプルに説明します。
高次の説明も可能ですが、大量の情報の中で生きている私達は簡単な説明のほうが軽やかに、そして素早く理解できるものです。
形而上学は人がこの世界をどのような要素的概念でどうとらえているかを、解明しようとするものです。
たとえば存在、時間、因果、可能性、すべてがどのように相互関与しているかといったことです。
人は人生に望みを持つもので、通常はいま、ここで起きてほしいと願います。
望んだ出来事がほぼ一瞬にして起こるときもあります。
望んだ出来事があなたに向かって最終的にはやってくるのですが、時間がかかるものもあります。
ですから忍耐力が必要となります。
ユニバーサル・タイミング(宇宙のタイミング)は、それがあなたにとって最善をもたらすのであればその望みをもたらしてくれます-それは機が熟し、その出来事が形となって準備が整ったときにやってきます。
たとえばその望みに関わることになるであろう人々の準備が整ったときにすべてが配置されるのです。
これはタイミングの仕組みを示すためのほんの一例です。
例:素敵なパートナーに出会いたい。
二人は長らく待ち続けてきました。
Ms.A(女性)は理想の男性、ミスター・ワンダフルに会うことなんてないだろうと思っています。
ですが、彼女の運命の男性は実際にいて、彼には今、パートナーがいます。
最終的に、この男性と今のパートナーは共に過ごした結果、「一緒になる運命ではない」ということになり、別れます。
数か月後、Ms.Aはパーティーに行きます。
するとほら! その男性がパーティーに来ています。
二人は紹介されて、あっという間に意気投合します。
二人はしばらく付き合い、ミスター・ワンダフルはMs.Aこそ彼の理想のパートナー、ミス・ワンダフルだと気づくのです。
もし彼が前のパートナーと付き合っている時に二人が出会っていたら状況は異なり、新しい恋愛に発展することはなかったでしょう。
彼にパートナーがいてそれでも出会って付き合い始めるとなると、劇的要因が含まれるのであらゆる人々の人生に大混乱が生じるかもしれません。
子供がいると尚更です。
実際に、この筋書きを選んだ多くの人が感情的な問題を抱えます。
それは長きにわたっていつまでも影響し、残り続ける可能性を含んでいます。
つまりこの例はある方向性を示しています。
人生はシンプルに、簡単に展開するものだと。
私達が気づいている以上に、それは何度も起きています。
ですが一方、もしくは二人ともパートナーがいる間に出会った「未来のカップル」にとって、試練(テスト)は明らかです。
その後どのような行動をとるかは、当の二人の選択なのです。
この状況には他にも多くの要素があり、明らかにカルマもあります。
もちろん、関わった人のうち95%はカルマのことをきちんとわかってはいません。
もしきちんとわかっていれば、この試練は二人の霊的進化においては試練ではなくなるからです。
テストというよりは試験会場にいながら、試験用紙の横に答えも置いてあるようなものです。
このような状況が展開している間は高まったエネルギーが作用しています。
二人は多大な影響を受け、不安が山積みになります。
ですが最終的には、選択が二人に戻ってきます。
もし二人が関係を始め、一方もしくは二人ともがその時一緒にいたパートナーと別れたら、家族や友人・知人たちは決して理解できないかもしれません。
ただ、二人は高次レベルではどちらを経験する必要があるか「わかっている」ので、そちらを選択することになります。
そしてその状況に関わっている傍観者たちにはそれを非難するのか、咎めないでおくかの選択が与えられています。
結局のところ、ここにはもっと大きな全体像があるのです-その全体像のことは彼等にはわからないものです。