アロハAloha~すべては一つ~

全てを繋ぐもの

「クリアナ(kuliana)」の記事でも書いたように、私たちはみな自分の人生、魂、自らの行動が及ぼす影響に対して責任を負います。では、クリアナのパワーを表現するもっともいい方法はなんでしょうか?

それは「アロハ(Aloha)」を通して表現することです。「アロハ」には、「こんにちは」「さようなら」「愛」という、ワイキキの観光客向けの説明以上の意味があります。
「アロハ」はハワイの人々が「ホニ(honi)」という挨拶をするときの方法でした。ホニをするときは、鼻と額を相手と合わせて、生命の息吹を吸いこみ、神様のスピリットを分かち合います。私のカフ(師匠)は、アロハという言葉はイエス・キリストの時代に話されていたアラム語の単語だと、講演会などで説明していました。それを聞くたびに私はかぶりを振って、「困ったな。学術的な証拠を示せと言われたら、いまの先生の言葉をどうやったら裏づけられるんだ?」と思いました。

そこで、教えてくださいと祈り、「Aloha」の語源がアラム語の「Alaha」にあることを学びました。「Alaha」はアラム語で「神聖なるもの」を意味する単語で、すべてのものがつながっていること、存在のワンネス(一つであること)を意味します。これは基本的には私のカフ、カウイラ・クラークが教えてくれた次の定義と同じです。

「見ることも触れることも聞くこともできないが、人の存在の中心からすべての創造物に向かって表現され、知ることのできないことを知り、万物を表現するもの。あらゆる物の内に見いだすことができ、すべての物を結びつけているもの。それが『ALOHA』である」

カウイラは彼自身の師の一人だったピラヒ・パキから、「Aloha」のアクロニム(頭字語)を教わりました。そのアクロニムはつぎのとおりです。

A-アカハイ(Akahai)-優しさで表現される思いやり。
L-ロカヒ(Lokahi)-ハーモニーで表現される調和。
O-オルオル(Olu Olu)-感じの良さで表現される好ましさ。
H-ハアハア(Haa Haa)-謙虚さで表現される慎ましい心。
A-アホヌイ(Ahonui)-辛抱強さで表現される忍耐力。

ハワイのカフナはアロハのこのような振る舞いに則って実践します。アロハは私たちのライフスタイルの知恵の礎になっているのです。アロハは宗教でもヒーリング技術でも文化的信条でもなく、生き方です。ネイティヴ・アメリカン主義が北米で暮らすネイティヴ・アメリカンの数百にも及ぶ部族の生き方を一つに分類したものにすぎず、神道が宗教を超えたものであるのと同じように、アロハは単にハワイの人々の生き方でした。

簡単そうに見えますが、実践にはときに困難を伴います。人間の性質は複雑で、動物としての生存本能はアロハな振る舞いとは相容れないことが多いものです。

最良の生き方は自然と調和して生きることだとよく言われますが、自然はいろいろです。私たちの動物的な本能には、野放しにしておくと私たちが目指す文明社会が実現できなくなる側面があります。人間には動物的な性質と、より高度な知的性質、スピリチュアルな性質があることを、アロハは認識しています。人の意識はその知的性質、スピリチュアルな性質に気づいているので、すべてを調和させようとします。

ですから、「アカハイ(akahai)」、つまり思いやりと優しさを実践するときは、非暴力的な形で「ロカヒ(lokahi)」すなわちハーモニーを創りあげようという意図を持ちます。ハーモニーの創造を、たとえば戦争という形で力づくで実現させることもあり得ます。

暴力はときには必要ですが、アロハの実践者が怒りの表現として暴力をふるうことはありません。その昔日本の武道家は禅宗を学んで、意味なく命を奪うことをせず、命を守るためにのみ戦い、怒りを持たずに戦うことを旨としていました。

もっとも、最善の「ロカヒ(lokahi)」は、思いやりに満ちたやり方でバランスを通して生みだされます。古代のハワイ人は、葛藤が存在しないことが平和だとは考えていませんでした。すべての物がどんなときも葛藤のなかにあると彼らは信じていましたし、自然を観察することによってこの結論に達していました。風にそよぐ木の葉や海岸に打ち寄せる波を観察すると、そこには葛藤が見られ、ハーモニーがあるかどうかはその葛藤の度合いによって決まることが見てとれました。そよ風が葉を撫でる音は心地よく、ハーモニーが感じられますが、木を根こそぎ倒してしまう竜巻にはそれがありません。

忍耐と我慢の違いとは?

しとしと降る雨が優しく屋根を叩く音は「オルオル(olu olu)」、すなわち好ましいものです。対立する考えが新たな解決策を生みだす紳士的な討論も、好ましいものです。

川を氾濫させ、村を水浸しにする土砂降りの雨や、殴り合いの喧嘩になってしまう口論は好ましいものではありません。ここでも葛藤の度合いによって、好ましいか、ハーモニーがあるかどうかが決まります。人間同士の葛藤をコントロールして、平和と思いやりを保つためには、「ハアハア(ha’a ha’a)」、すなわち慎ましくあることです。慎ましい心とは他者を尊重することであり、たとえそのときにふさわしいものではないとしても相手の考えを認めたり、ほかの人の考えが自分の考えよりも優れていると認めたりすることです。

慎ましくあれば心穏やかにいることができるので、「マインド」がクリアでいられます。私は「マインド」という言葉を、頭脳と心の両方を包含するものとして使っています。

頭と心が落ち着いていれば、明快なコミュニケーションや理解ができ、「ロカヒ(lokahi)」を実現できます。「アホヌイ(Ahonui)」は穏やかに辛抱強く耐えて諦めないことを意味します。目標や目的の達成を諦めないという日本語の言葉、「がんばる」に似ています。忍耐とは冷静な辛抱強さですが、忍耐を我慢ととり違えている人がたくさんいます。

我慢とは、ネガティヴなことや居心地の悪さに耐えることを意味しますが、真の忍耐とは心をオープンにして、起きる出来事を受け入れる余裕を持つことです。忍耐とは柔軟な頭と広い心のパワーなのです。

したがって、アロハを実践することがクリアナを表現する最良の方法ですし、アロハとクリアナの実践においてパワーとバランスを確立する一番いい方法は「ナアウ(na’au)‐丹田」に意識を集中することだということを、憶えておいてください。

アロハについて話すべきことはもっとありますし、これからも書いていきます。
A hui hou!(またお会いしましょう!)