クリアナKuliana~世代を超えて伝わるパワー~PART.2

クリアナが持つパワー

「kuliana」という言葉には、パワー、あるいはエンパワメント(力を与えること)という意味もあります。自分の家族の7世代のちにまで影響を及ぼす力が自分にはあると想像してみてください。

自分はアルバート・アインシュタインのように偉大な知性の持ち主なのだと想像してみてください。アインシュタインのシンプルな方程式、E=mc2は、この方程式を使う人類が存在するかぎり地球に影響を与えつづけます。イエスや釈迦は、自分たちの言葉が、自分たちの死後何千年も経ったのちにも人々に読まれ、影響を与えることを知っていたでしょうか? それはわかりませんが、こんなふうに考えると、自分の行動が自分のあとの7世代に与える影響をやや想像しやすくなるでしょう。すべては相対的なのです。

現在の話に戻りましょう。自分が飲む一杯のコーヒーが、のちの7世代にどんな影響を与えるかを考えて神経を磨り減らしたりしないでください。そういうことを言っているわけでないのです。私はただ、ハワイ人が自分の行動やカルマやクリアナにどれくらい気を配っているかを、みなさんに理解していただきたいだけです。
日本の人々が同じような敬意や注意を払うところを、私は見たことがあります。私のハワイの先生は、ハワイと日本の文化はとても似ているといつも言っています。ハワイ人も日本人も、すべての生命と地球がつながっていて、支え合っていることに気づいています。このような、互いにつながっているという知識や感覚があることも、ハワイ人がマナ(mana)、すなわちスピリチュアルなエネルギーを使うことができ、日本人が気と呼ばれるスピリチュアル・エネルギーを使うことができる理由の一端です。
この気づきの真の価値は、人生をよりすばらしい体験にしてくれることにあります。クリアナは単なる道徳や倫理的な束縛ではありません。クリアナは拡大した気づきでもあり、人生をより価値のあるものにしてくれます。お金と同じように、パワーは人生を重荷にすることも豊かにすることもできるのです。

能力が高まるほど責任も増す

クリアナは自分自身のスピリチュアル・パワー、メンタル・パワー、感情的、知的、肉体的パワーを使う技術や能力です。どの領域においてであっても能力が増せば、その能力を行使する責任もより重くなります。

キリスト教のアダムとイヴの物語は、人間がどのようにしてより神に近くなり、それによって責任も重くなったかというお話です。この物語によると、キリスト教でエデンの園と呼ばれる楽園に、神は2本の木を植えていました。神は最初の人類であるアダムとイヴがエデンの園で平和に仲良く暮らせるようにとり計らいました。唯一神が2人に禁じたのは、知恵の木の実を食べることでした。アダムとイヴは生命の木の実は好きなだけ食べることができたのに、神のこの簡単な指示を守ることができませんでした。アダムとイヴが知恵の木の実を食べたことを知ったとき、神は「これで2人はわれわれのように善と悪の違いがわかるようになった」と言いました。知恵の木の実を食べる前は、アダムとイヴは赤ん坊のように無邪気でしたが、知恵の木の実を食べたあとにはより神に近くなり、善と悪を見分ける責任が生じたのです。もはや無知ではなくなった2人は、自らの行動、すなわちカルマに責任を負うことになりました。

確実にポノ(pono)、すなわち正しいクリアナを行うには、自分のしていることがオープンでバランスがとれていると感じられるか、リラックスできているか、自分自身と他者を尊重できているかどうかを自分に尋ねさえすればいいのです。神経が張り詰めていて、自信がなく、不安で、心を閉じていて、猜疑心や緊張感を覚え、バランスを欠いていて、自分自身や他者を尊重していないように感じるなら、あなたはポノではない可能性が高いです。ポノとは神様に対して正しく、アロハ(Aloha)、すなわちすべての物と愛情あふれる絆で結ばれていることを意味します。ポノでいれば、クリアナは歓びと幸せのパワーになるでしょう。

~おわり~

PART.1はコチ