みちのく岩手 東日本大震災後の神社を訪ねて~その1~

大杉神社のゼロからの復興

盛岡駅から約2時間。バスは山間部を抜けて、三陸沖海岸の山田町へ入りました。
海が見えてくると、車窓は一変。

それまで山の紅葉で彩られていたのが、灰色のコンクリートの基礎だけが残る荒涼とした風景が見えてきました。
ところどころ、新しいお店などが建っているものの、瓦礫が撤去されただけの津波の爪跡が残る風景に唖然としました。

今回、私が参加したのは、11月6日7日に開催された神社本庁主催の伝統文化セミナー(第15回)。

山田町にある3つの神社と盛岡市にある盛岡八幡宮をまわり、関係者にお話を伺いながら東日本大震災の復興と可能性を探るプレス向けのツアーです。

山田町は、2011年3月11日の東日本大震災には津波に襲われ、まちの大半の建物は全壊(半壊含め3167)、死者・行方不明者755名に及ぶ壊滅的な被害を受けた地域です。

まず着いたのは、海岸から150メートルにある大杉神社。
津波で鳥居は100メートルほど流され、コンクリート製の本殿が残っていました。

大杉神社をお祀りしている佐藤明徳宮司(50)から、本務所の山田八幡宮にて当時のお話を伺いました。

「津波のあと、ご神体を探しに行きました。鉄の扉は津波で開けられ、ヘドロの中にご神体がありました。白いシーツで包んで背負って本務所まで逃げました。ところどころでプロパンガズが爆発し、火災が発生して、まるで戦争映画を見ているようでした」とのこと。

神輿は数日後に瓦礫の中から発見されたものの、お祭りで使う芸能の道具はほとんど流されてしまったそう。

ところで、町民にとっては、大杉神社と山田八幡宮からなる『山田祭り』は心の支えです。故郷を離れても、お盆ではなく、祭りが開催される9月に帰省するほどなのです。

祭りの初日は、山田八幡宮を出た神輿が大杉神社に参詣をしたあと町内を練り歩き、東北を代表する郷土芸能『山田境田 虎舞』や『八幡鹿舞』が奉納され、翌日は、大杉神社を出たあばれ神輿が海を渡り、漁船が大漁旗を掲げて大漁を祈願します。

「とにかく子どものときから、体の中にお祭り好きのDNAが入っているんです。だから大人になっても、子どもみたいに、祭りの1ヵ月前になると血が騒ぐ。お盆をすぎると、あちこちから聴こえるお囃子がさらに加速させるんです」

そんな山田町の人々にとって、津波によって、家や学校や職場、そして家族や友人を失ったとしても、お祭りが開催されないことは考えられないことでした。

そして、人々は道具を工面し、震災半年後の2011年9月17日、18日『復興祈願例大祭』が行われました。
それは奇跡に近いことでした。

お祭りの関係者の方にもお話を伺いました。

「私は4歳と3歳の2人の子供と妻を津波で失いました。もう何も残っていない。けれど、家族が皆で毎年楽しみにしていたお祭りをやめるわけにはいかない。なぜならお祭りが失った家族との唯一の絆だから。今、神輿は修理に出しているが1300万円の資金が必要。どうか援助して欲しい」と、神輿会の五十嵐さん。

佐藤宮司の話では、「郷土芸能には国の金銭的な支援があるが、郷土芸能の原点となっている神社には、政教分離を理由に国の支援がない」そうです。

被災地の人々を元気にし、崩壊したコミュニティを再生する神社とお祭り。
しかし、今回の震災では、神社やお祭りを支えるべき氏子の家屋は壊滅し、神社の再建はいつになるのかわからないという特殊な事態。

どうか本当の意味での「復興予算」はこうしたところに使って欲しいと願わずにはいられませんでした。

 

大杉神社の再建については下記のサイトまで
WAWA PROJECT
http://wawa.or.jp/project/000012.html