映画『おだやかな日常』 日本が日本人に送るメッセージ~震災から生まれたこと~

この映画は、2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災が発端となる。
あのとき、すべての日本人が動揺し、恐怖に怯えたのではないだろうか。
「……日本はどうなるのだろう?」
「自分は、家族は、これからどうすればよいのだろう」

あれからまもなく二年を迎え、もうあなたの心のなかでも、あの震災が風化してはいないだろうか。

あのとき、様々なニュース、うわさ、誰かが見てきた話、聞いてきた話、たくさんたくさん飛び交うなかで、テレビや報道の自粛、食料や燃料の不足、交通機関やライフラインのストップ、という現実が日本に降りかかった。
はっきりと目に見えるカタチで、国民は日本の危機を突きつけられた。

そのとき、あなたが取った行動は、どうだっただろうか?

はっきり言って、日本は不況に甘えてのんべんだらりと動いてきた。人々も。経済も。

こんなことを言うと政治家や識者は怒るかもしれないが、どんなに頑張っても鈍くしか反応しない現実が長く続き、それこそ政治家や識者ほど、イラついていたのかもしれない。

もちろん、国民だってそうだ。
隣の芝生が青く見えて仕方がない。
隣人はいつも幸せそうなのに、ウチにはお金もないし、昇給の見込みも薄いし、旅行もたまにしか行かれない。
なんだかみんながうらやましい。
自分が一番、損しているんじゃないだろうか……。

そんな、小さいような大きいような不満が日本中に蔓延していたはずだ。
バブルがはじけて20年。その間に産まれた子供たちは、なんと、不況しか知らない。
これはいったいどういうことなのだろうか。

人間は誰しもが、大なり小なり、不満や不安を抱えている。
それらを今まではゆっくりと後回しにすることができたけれど、今回の大震災という危機では、露呈してしまった人も、事柄も、少なくない。

人は誰しも見栄を張る。嘘をつく。ごまかす。取り繕う。
上手に少しずつ発散できていればいい。
しかし、見栄や嘘の上塗り、自分の弱さ、もろさを隠してきたあまり、周囲を巻き込んでの破綻を迎えてはいないだろうか。
自分の弱さを隠すために、他者や他物を過剰に攻めたり、排除したりしてはいないだろうか。

男は家庭について知らなさすぎる。
女は社会について知らなさすぎる。

だがそれは、人という生き物としての役割分担であり、だからこそ人は恋愛や結婚をし、家族をつくるのだ。

あの震災以降、結婚も離婚も出産も増えたと聞く。
どのような結果であれ、彼らは(日本人は)、彼らの(日本人の)、真実に近付いたのだ。真実から新しいスタートを始めたのだ。

どんなに孤独でも、ひとりでは支えきれない悔恨や罪があったとしても、たったひとりでそれらを抱きしめていなければならないこともある。
反面、どんなに嬉しくて幸せでも、たったひとりで祝杯をあげることもある。

今回の震災で、日本人はそのことに気付いたのだ。
心のとてもとても深いところで。
その深いところにいったい何が潜んでいるのか、日本人は気付いたのだ。

それでも、「日本は何も変わっていない」という人もいるだろう。
いや、「日本は着実に変化してきている」という人もいるだろう。
やはりそれは、その人にしかわからない答えがあるのだ。

あの震災からしばらくの間、都心の灯りは消えていた。
一向に進まない国の政策に、ある種の恐怖を抱きながら、私は灯りのない首都を見詰めていた。
このまま東京が機能しなかったら日本はどうなるのか。
政策が止まったままでは日本は滅びるのではないか。
多くの日本人が恐怖を抱いていたはずだ。

あれからまもなく二年を迎える。
震災前と震災後の日本。
そして、日本国民であり、世界の一員でもある私たち。
家族や恋人、友人たちや大切な人たちに囲まれて、今日のあなたは何を思っていますか?

そこにはどうか、愛と夢がありますように。
明日のあなたが幸せでありますように。
あなたの大切な人たちが、きっとあなたを見詰めています。
愛と感謝を、そして未来への夢をこめて。

『おだやかな日常』
監督・脚本・編集:内田伸輝 
プロデューサー:杉野希妃、エリック・ニアリ 
撮影:角田真一
出演:杉野希妃、篠原友希子、山本剛史、渡辺杏実、小柳友、渡辺真起子、山田真歩、西山真来、寺島進

2012年/日本、アメリカ/日本語/102分/英題:Odayaka/HD/カラー/Stereo
製作:「おだやかな日常」製作委員会 制作・配給・ワールドセールス:和エンタテインメント
©odayaka film partners

12月22日(土)ユーロスペースほかにて公開

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