身近な薬草でセルフケア「人と薬草のあいだの決め事」PART.1

薬草のお話をする上で、私が読者のみなさんに早い段階からお伝えしたいのは、薬草との関わりには一定のマナー、姿勢が必要だということです。 薬草は生えるその土地、そこにいる人と深い関わりをもって生えてきます。

私が里山再生作業に携わり、季節を通じて人と植物の関係を観察していると、とても面白いことに気がつきました。 まずある人が里山のある区画にずいぶんと愛着をもって作業しています。 作業をしているとやはりそれぞれ得意分野があり、好きな作業や場所があるものです。

そしてそれぞれが好きな作業をして力をあわせた結果、そこには美しい田んぼや林がよみがえります。 その後に生えてくるのがその場所で作業をした人の弱点や病状にあわせたものが多いのです。

怒りっぽい人が好きな花には血圧を下げる薬効を持つものが、神経質で胃腸が弱そうな人が丹念に草をはらった斜面には高遠草(たかとおぐさ、またの名を、あきからまつ)が生える、など。 とても不思議なのですけれど、本当なのです。 荒れた里山でずっと眠っていた種がよみがえり、その人へのお礼のように翌年に薬草があらわれます。 このように、人間と薬草の関係は絶妙なギブアンドテイクの元に成り立ってきました。

いっぽう近年では科学が発達して、それまで季節や地域が限られていた薬の供給を安定させるために製薬会社が工場で大量生産する方式が主流になりました。もちろん対応する薬の種類自体も効果も飛躍的に改善されたでしょう。 よく効く薬がお店や病院で安価に薬が手にはいるようになったのです。 病院は健康や長寿を買うデパートのようになってしまいました。 このように私たちは先祖が長い年月をかけて薬草たちとつむいできたギブアンドテイクの関係を一世紀もたたないうちに崩壊させ、小額のお金で自分本位にテイクアンドテイクするのが当たり前となってしまったのです。

この感覚で薬草に触れると、言葉では言い表しがたいのですが、薬草がとても悲しみ、しおれてしまいます。 私も一度失敗したことがあります。 杉菜(すぎな)を大量に採取したことがあるのです。「杉菜の根は地獄まで続く」などといわれているように、田畑を耕す側にとってはあまり喜ばれていない草です。 しかし薬草としては利尿や強壮に良いのでこれ幸いと毎日毎日たくさん集めて干しました。 薬草を採取するのはどの季節でもよいわけではなく、その草が一番強い旬があります。 おまけにそのときは良い杉菜が生える場所―南に面した林の入り口の湿った場所―を見つけたので、自分が必要な量の4倍くらいを集めたんですね。 そうしたら見事に余計な4分の3はきちんと乾かず、色が変色して使いものにならなくなりました。

結局いつもの通り、一年で私と私が知る人たちが必要な分だけが残りました。 薬草は必要なものが必要な分だけ人の手元に残るのです。