巨人の骸(むくろ)と神社建築の始まり — 神社巡りこぼれ話

神社がどうしてその場所に作られたか判りますか?

神社がある場所って、神社がある前から特別な場所だとご存知ですか?
年間150社以上の神社を訪問させていただいていますが、神社のご神気は一社毎に違います。

人間を身体・心・魂となる生き物と捉え、全ての視点から見るカウンセラーの私は個人的に北海道内の神社を訪問させていただいています。
その土地にどんな神様がいらっしゃるかを知る必要もあるからです。

その中で見聞きした、お伝えしても差し支えなさそうな事を神社巡りこぼれ話として書かせていただいています。
今回は巨人と神社のご神気についてのお話です。

 

神社のご神気

霊的な事を否定していた頃から、ふと何かを感じてそちら見ると神社があったと言う事がよくありました。
まるで話しかけられているかのように。
今は神社巡りをさせていただいていて、見ず知らずの土地の神社を訪れるのでカーナビや地図で調べて行くのですが、たどり着く前から神社のある方向が判ります。

「なんとな~く、あっちから呼ばれてる? めっちゃ見られてる気がする」

それは神社が特別な場所で、神社の神様のご神気なのかと思ったのですが、神様が不在の神社にもそれを感じるのが不思議でした。
「あっちだ!」と思っていると、そこに神社ではなくお寺がある場合もあります。
でも、仏教的な波動では無いのです。
おかしいな~と、思っていたのですが、これ、神社建築の成り立ちから考えると、当たり前の事だったのです。

 

神社建築の始まり

(写真はイメージで、本文との関係はありません)

私が若い頃、建築を勉強していた時に建築史の授業で習った事です。

大昔は神社というものはなく、自然の中の大岩や樹木など特別な場所に神様が降りられて、それを感じ取った者達が祭事を行っていたようです。
その場所は特別とされ、人々は恐れ敬い、清浄に保つよう心がけました。
けれど、神様が宿る場所を雨ざらしにするのはもったいないことだと屋根をかけ、吹き曝しにならないように壁を作り、周辺の土地も清め、神域の境にはそれと判る鳥居を立てました。

それが神社建築の始まりだそうです。

つまり、神社がある場所とは神様が「あそこなら降りても良いな」と思うような、最初から特別な所だったのです。
だからご神気があるのは、土地や場そのものだと言う事です。

朝廷の政策として神仏習合をしていた時代が長かったので、明治の代になり神社とお寺が別れた時に、ご神気がある場所に神社ではなくお寺が残った場合もあるのでしょう。

 

アイヌの霊場と巨人の骸(むくろ)

ある小さな集落の神社を訪れた時の事です。
そこはアイヌの人々が霊場として大昔から恐れ敬っていた場所だったそうです。
そこを奪い取った和人も、特別な場所として神社を建てました。
神社が全く見えない位置からも、あちらに何かがあると判るような強いご神気を放っている小さな山です。
ただ何となく、他のご神気がある場所とは何かが違うように感じていました。

ある日、その神社の鎮座する山の連なりを遠くから霊的な目で眺めると、樹木の生えた山が巨人の姿に見えました。
身体を折り曲げた状態で倒れこんだのでしょう。
その形状のまま山となっています。

「ああ! あの山って、元は巨人だったんだ! だから特別な気を放っているんだ!」

巨人に話しかけてみても返事はなく、魂は無いようで、完全に土くれとなっていますが、跪いた巨人が何らかの強い祈りを持って息を引き取ったのだと感じ取れました。

けれどそういう特別な場所は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)的なもの達も好むようです。
その山にはいくつかの社があり、一つは神代理の神使によって清浄に保たれていましたが、他の神社は汚い気でひどい有様でした。

じゃあ、巨人が埋まっている場所は特別なのかと言うと、そうとも限らず、繁華街の大きな通りの下に埋まっている小さなサイズの巨人の骸もあります。
何か霊的な意図があるのか、たまたまそうなのかは今の私には判りません。

(写真はイメージで、本文との関係はありません)

そう言った謎解きをしていくのも、神社巡りの楽しみの一つです。

いつとはお約束できませんが、よろしければ次回の神社巡りこぼれ話もお楽しみに(*^^*)

 

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