〜声は耳で聞くものではなく感じるもの〜
「言葉には心が添えられています。
波動(エネルギー)が添えられています。」
街中やお店で、ラジオに電話にアナウンスに…….
朝から晩まで私たちは誰かの声を耳にしています。
耳で聞こうとするとき、
私たちはそこで表現されている内容を理解しようと
頭を使います。
聞き取ろう、聞き取ろうと一生懸命になります。
音というのは波動です。
目で見ることはできず、
掴むこともできません。
音は風と同じです。
見ることも掴むこともできないのです。
ゆいいつ、感じることだけができるものです。
声は、誰かの中から発せられた波動です。
私たちは、コミュニケーションの手段として会話を使います。
内側で考えていること、感じていることを、
言葉を通して表現します。
ですがそれは言葉だけではありません。
言葉には音(声)という波動も同時に存在します。
声というのは、その人の内側にあるものが外側に放たれた波動(エネルギー)です。
誰かが放つ「言葉」に集中すると、考え(身体でありマインド)がその内容を理解します。
ところが、誰かが放つ言葉と共にある「波動」(エネルギー)に集中すると、そこにある思いを感じることができます。
例えば、選挙の演説で巧みに言葉を重ねながら話したとしても心に響かなかったとしたら、その人は紙に書かれた文章をいかに流暢に読むか! に集中していたのかもしれません。
ラジオのパーソナリティをしている友人が、こんなことを話してくれました。
最近、小説を読むコーナーを担当しているのだけど、
なめらかに表現力豊かに読んだとしても、
心地よい音がただラジオから流れるだけだと気付いた。
まるで自分が体験しているように、イメージを加えて読んだ時、
たくさんの反響があった。
イメージするというのは何かが加わって、人の心に届くのね、と。
例えばこんな感じです。
今日は大きな仕事を任されている。できるだろうかとの不安と期待を胸に駅へと向かう。なぜかどんどん早足になっていく、はやる心を体は抑えられない。ひまわりの黄色が今日は眩しく感じる。角を曲がった時、草むらから夏の匂いがした…….
これを内側で見て、鼓動を感じて、匂いを感じて、この時の感情も感じて声に出す時、その声には情景が描かれています。
言葉には、内側にある思いの波動が現れています。
そして、声はその人の内側から発する音であり波動です。
声は耳で聞くものではなく感じるものです。
ありがとうございました。と声を発しているのに、顔も上げず言葉は棒読みという店員さんがいますが、言われても気分は良くありませんね。
面倒くさいと感じながらの声には、面倒くさいという波動を感じます。
言葉には心が添えられています。
波動(エネルギー)が添えられています。
この世界のたった一つの法則。
それは、自分の発するものが自分の受け取るもの。
言葉に思いを込めることを忘れずにいたいです。
声は耳で聞くものではなく感じるものだからです。
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