<夢と現実は裏表です>
数年前のこと、はっきりとした体験をしました。
意識が目覚めてくると、寝ている夢のなかで、自分は今、夢をみているのだと気づくことができます。
夢のなかで私は瞑想しようとしていました。ところがこの夢のなかで私は目覚めていたので「夢のなかで瞑想して、空に落ちたらどこに行ってしまうのか? もう二度と目覚めないということもあるかもしれない」などと思いながらも、好奇心が止められず瞑想を始めました。
少しして私は、空のなかに完全に落ちて自我が消え失せた瞬間、寝ていた自分の身体のなかで完全に目覚めたのです。
「夢のなかで空に落ちたら、こちら側の現実世界で目覚めた」
これは偶然だったのだろうか?
翌日また夢のなかで、それを思い出したので、もう一度瞑想してみようと思ったのです。その結果は、空に落ちたら、やはり寝ていた自分の身体のなかで目覚めたのです。
さらに3日目、夢のなかで目覚めていたので
「ここは夢のなかだけど、夢のなかで布団に入って眠ったら、いったいどうなるのか?」と、やってみることにしました。
布団に入り、眠りに落ちていきました。
その瞬間。
やはり、寝ていた身体のなかで目覚めたのです。
夢と現実は裏表です。
私たちは意識なのです。
夢と現実は繋がっています。
あなたが寝ている間に見る映画は、あなたの魂に刻まれていたものです。私たちの魂は約1万回の転生を繰り返してきたとしたら、魂に刻まれているのは、世界のさまざまな地で繰り広げられてきた歴史です。
ホロコースト、奴隷、戦争、階級制度と痛みの記憶もあります。夢のなかでどんな恐れや苦しみを見たとしても、それが魂のなかにあった映画です。
映画は見たら終わりです。再生して繰り返し見る必要はありません。見ることで終わっていきます。手放されていきます。
夢で見るのが最善です。夢で見なかったものは、現実世界で見ることになります。
私たちの本質は意識です。意識が見ています。
身体を持った今の自分に、嫌な映画を結びつける必要はありません。ただ、内側にあったものを見て終わらせています。
嫌な夢をつかむと、もう一度体験しなくてはならなくなります。手にもった以上、必ず体験します。
現実も同じです。現れた時は、古いエネルギーが現れて終わった瞬間です。つかまずにいます。つまり、フォーカスせずにいます。フォーカスするということがつかむということです。
私たちは意識です。
意識が、私の魂を見ています。すべて見終わって、すっかりきれいになるまで、それは続きます。
すっかり見終わった時に残るのは、純粋な意識だけです。
本当の私は、この純粋な意識なのです。
私たちは、本当の自分に還るために、古い映画を終わらせているのです。
夢と現実は、形の違う同じものです。
意識が目覚めてくると、寝ているときも起きているときも、意識が見ているのだ! というように体験していきます。