結果だけを取り除いても問題は決してなくならない
小学校に入った頃から子供たちの心情も状況も複雑になってくるので、先生も一人一人の子供たちの心の機微にまで踏み込むには時間も限られており、クラスとしての和を優先せざるを得なくなるという事情もあって、だんだん結果だけを操作するようになってきます。
班ごとの活動時間にふざけている生徒がいると「先生がやってくれと頼んだのか?自分たちでやると決めたのではないのか? そんなことで完成できるのか? やりたくないなら出ていけ」たまに素直に出ていく生徒もいますが、そんな勇気のある子は稀です。
たいていの子は、そもそも授業のカリキュラムで班ごとの活動を考えさせられただけで、好き好んでしているわけではない、と思っても教室を出てはいきません。
授業中は先生の指示に従うという前提がある
休み時間を返上しての話し合いなど、もっと面倒なことになるほうが嫌だと出て行ったら、場合によっては親も巻き込んでもっと面倒で厄介なことになると考えてその場に留まります。
こうして我々は、長いものには巻かれる。
ルールには従う。
すでにある前提には従う。
自分の望みや意見を正直に告げると面倒なことになる、あるいは排除される。
と言うことを学んできたのです。
騒いだ子供がクラスから取り除かれれば教室は一時的に平穏を取り戻します。
しかし、問題は依然として一つも解決しておらず、全国の小学校では今日も同じ問題がまた繰り返されているのです。
宇宙から与えられた最大の特権『選ぶという自由』
私も当時は教室に居残っていた生徒でした。
けれども、今なら、教室を出ていきます。
すでにあるルールも前提も私が作ったものではありませんし、違うルールや前提で運営されている教室があることも、それを選ぶことができることも知っているからです。
排除される不安におびえることもないのです。
そこでは「気にしない事」にする必要はありませんし、そもそも気になるもの自体が存在しないので、全く不要なエネルギーを消耗することがありません。
今年は、この選ぶという自由について、さまざまな角度からお伝えしていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。