そこで、ひとつの考え方として、「敏感になってしまう自分を自覚し、許してあげる、受け入れてあげる」という方法がいいよ、というお話をしばしば耳にします。
このやり方って、たぶん、「正しい」のだと思います。心理学? 精神医学? などの本にも、書いてあったような……。
「臨」が指し示す「主体性」、「自分を取り戻す」、「自分らしくある」、「自分を受け入れる」という発想にも、フィットしていますし。
でも、どうもうまく行かない。
そういう方も、いらっしゃるかなあ。
なんて、私は思っています。というか、私がそれじゃあうまくいかなかったものでして(汗)。
そこでひとつの指針として提案したいのが、「臨」の持つ主体性を、もっと強く押し出していくやり方です。
すなわち。
たとえば、「ありもしない彼の浮気に、神経を苛まれている」というケースであるならば。
「問題は、彼じゃないですよ。大切なのは自分がどうしたいか、なのです。」という考え方は、いかがですか?
という、提案です。
「浮気していようがしていまいが、彼が好き」なんですよね?
彼が好きだから、不安になるんですよね?
では、その気持ちに、もっと正直になってみてはいかがでしょう。
「他に誰がいても、いなくても、彼をこっちに引きつけておきたい」ならば。
あなたがやるべきことは、浮気に悩むことではありません。
素敵な自分になることと、彼にとって快い関係性を築くこと、ですよね?
神経が細やかで、気配りができる方ならば。
その気配りの重点を、積極的に、主体的に、自分で決めてしまいましょう。
浮気に割かれる「気働きのリソース」が、どんどん小さくなって行きます。
それって、「鈍感力」と同じことではありませんか?
主体的鈍感力、その他の例
恋愛を例にとりましたが、他のケースでも同じです。
お仕事で、上司に叱られてしまった。
ママ友仲間で、仲間はずれにされているような気がする。
そういうときは、「私がやるべきことは、何だろう?」と、考えてみてはいかがでしょう。
神経の使いどころを、自分で決めていくのです。
お仕事ならば、「やらなくちゃいけないこと」や「取り組みたいこと」に意識を集中です。叱られたって、きっと建設的に受け止められるようになってきます。
ママ友のお付き合いならば、「自分の子供と、子供達のために良いと思う行動」に、意識を集中です。そんな素敵なママさんに、友達ができないはずがありません。
そんなにうまく行くかいな、と思われてしまうかもしれませんが。
案外、有効ですよ。鈍感になれます。
少なくとも「引き出し」のひとつとしてならば……自信を持って、お勧めいたします!
《未畫齋さんの記事一覧はこちら》
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