なぜ、自殺をしてはいけないのかという
根源的な命題について

過酷な運命を受け入れ、それでも強く生き抜こうと決意した清らかな命だってあります。 あなたの命は、あなたひとりの物ではありません。
なぜ、自殺をしてはいけないのかという<br>根源的な命題について

自殺は殺人や傷害よりも罪が重い—与えられた生命を全うするために

最近、ニュースで、自殺問題の報道が相次いでいます。

いじめを苦にした中学生から、会社のリストラ業務を担当し心労を重ねていた人事課長まで、年齢と理由は様々です。
それぞれに自ら死を選んだ理由はあるでしょうが、どこで、“生き続けること”を諦めてしまったのでしょうか。

2006年に、『自殺対策基本法』が成立しました。
以来11年、かつて3万人を超えた自殺者は、数字上は減少の一途をたどっています。
地域ぐるみでのカウンセリング体制の強化や自殺対策に取り組む民間団体との連携強化の賜物と言えますが、それでも昨年はまだ、2万人強の人々が自死を選んでいます。
“死にたいな”“生きているのが辛いな”と毎日のように考えている弱い魂は、やはり弱々しい魂と感応同交し、自死に向かってしまいます。
いま、最も大切なことは“自殺を考えている人々に生命の意味と価値をいま一度教えること”に他なりません。
『自殺』は、精神世界の観点から言えば殺人や傷害よりも遥かに罪が重い“犯してはならない大罪”です。

なぜ、人間は絶対に自殺をしてはいけないのでしょうか。

 

人生という“修行”から逃亡した罰—それはこの世での苦しみ以上の想像を絶する世界

『天国と地獄』と聞いて、皆さんは一体、どういった世界か想像がつくでしょうか。
人間は“死”を迎えると、生前での行動に合わせてそれぞれの魂にふさわしい階層へと自然に足を進めてゆきます。
善行を積んだ人は、心優しい仲間と共に光の高みへ。
悪行を積んだ輩は、嫉妬と罵倒に塗れた闇の泥濘へ。
そこは、自らの波動で選んだ世界です。
では、“善の心を持ちながら、自ら命を絶ってしまった”人はどこの階層へ行くのでしょう。

答えは、“身動きが一切取れず、良心の呵責と後悔に苛まれる地獄の中の地獄”です。

かつて中国の映画で、悪女・西太后の生涯を描いたものがありました。
ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、その中で西太后が夫の故・咸豊帝が最も寵愛した麗妃の手足を切断し、甕に入れて生かし晒しものにするという凄惨極まりないシーンがありました。
自殺した人間の魂は、まさに“あの世”で、あのような仕打ちを受けることになるのです。

人間はこの世で魂を鍛えるために生まれ、天寿を全うしてあの世に“経験”を持ち帰り、永遠の進化向上を続ける生き物です。

それを“生きているのが辛い”とか、“この先、生きていても良いことがなさそうだ”などという身勝手な判断で勝手に命を絶ち、魂の修行を短縮するというのは、神への重大な背信行為に他なりません。

いじめを苦に自殺した少年事件が、いつの時代もありました。

この世では「あんなにいい子だったのに」「心が優しい子でした」などと比較的同情の目で見られることもありますが、あの世ではそんなことは一切斟酌などされません。

与えられた人生を、精一杯生きなかったことへの深い後悔。

人生という名の“修行”から、逃亡したことへの多くの非難。

愛を持って接してくれた家族や友達の思いを裏切ってしまったことへの、自責の念。

ありとあらゆるマイナスの念が自分の身体を取り囲み、がんじがらめで身動きがとれなくなる。
それは、この世で生きていた時の苦しみを遥かに超える、想像を絶する“地獄”です。