Temple Of New Dawn 大いなる愛と静寂と歓喜の究極の出会い!〜Amalin Story #5

How beautiful this moment is!!! Osho and TAMO-San finally merge in the Ocean of Consciousness! Dream comes true……

<OSHOのガーデン、外庭での魂の出会い、賑やか、爽やか、暖か〜>

ラニのガイドによるOSHOコミューン内のツアー中、外の美しいガーデンを見回っていると、たくさんのインド人サニアシン達が、真白な帯と着物、白足袋にポックリといういでたちの不思議な様相の彼女の足元に触れたい一心で集まってきました。

インド人は聖者の香りに繊細に気づく!

ついに行列までできて、ひれ伏して足に触れるインド式の聖者への尊厳を表すやり方に、初体験の太母さんも大興奮!みんなを起こしあげては『そうかい、そうかい。あんたもか、あんたもか〜』と、くしゃくしゃの笑顔とともに精一杯にハグして、歓迎してあげるのです。本当に嬉しくて仕方ないこどものように無垢な様子が伺えます。

本来、彼女はハグや人に触れるのは好きじゃないのに、私たちとミュニケートするためにする、それは彼女の言語を超えた、愛を肌で感じさせる『無条件の愛』です。

これがエンライトしてる人の持つ普通に偏在する純粋な慈愛のエネルギーです。
すべてに対してオープンで否定や拒否やジャッジはありえない!

歓迎のエネルギーに興奮した太母さんは、人工的に作られた滝の水をみんなの前で飲んで見せたり、生えている草を食べられるよと食べて見せたり、みんなを喜ばせたいばかりのパフォーマンスが過ぎて、後に『あの草は毒じゃった。』とこっそり日本語でほのめかすのでした。
可愛いですね。(笑)

その後『わしは毒消しの草も知っとるから大丈夫じゃ。』と話した上に別の草を探して食べ毒消しもするのです。

いつも私たちに何かを伝えよう、与えようとしています。いつも Give and Give です。

一切の期待はなく、愛で満ち溢れているのです。

そんな風に楽しくおかしく興奮するこどものような太母さんに、一目惚れして付いて回るインド人のOSHOの弟子たち。(1981年くらいからOSHOは人前には姿を現さない天上の人ですから、親近感のある太母さんの光明のエネルギーに大いに共感し興奮したわけです)その弟子たちの持つ愛に満ちた瞑想性や、こどものように無垢な純粋性に共感して、嬉しくて仕方ない様子の太母さん。

そういう歓迎の様子をみて、その場にある光と『今ここ』性を楽しむ太母さん側お付きの人たち、優しく温かくオープンな笑顔でいる皆んなの表情。

そのすべてをみていて嬉しくて楽しくていい塩梅(あんばい)に天上で遊んでいるような気分の私。

そこにいるすべての人々がハートにいて、ハートからシェアして、ハートから受け取っている素直でオープンな感覚。

余分な心配やマインドのない、確実に次元上昇している『今ここ』であり、光に包まれているヒトコマでした。

そんな到着初日午前中のスポンテニアス(瞬発的)に起きた親善交流の後には、コミューン側からふるまわれたシンプルで美味しいベジタリアンのランチをみんなでいただきました。太母さんは『おいしいのう、おいしいのう、、、』と連発して食べてくれました。

特に、その当時には日本にはまだお目見えしていなかったマジェンタ色の茹でたビートルートは甘く柔らかで、とてもお気に召したようでした。食べ続けると鼻につくインド料理ばかりの旅が続いた後だから、シンプルな茹でたお野菜と玄米のコンビネーションが余計においしく感じたのでしょうね。

そのランチ後の午後のひとときのことです。OSHOにその笑い声が気に入られて『あなたはその素晴らしい笑い声を振りまいて、その笑い声が伝染するように世界中を回って歩きなさい』とOSHOアンバサダー(大使)の称号をいただいたアメリカ人のラニが、太母さんと私を瞑想の合間で使用されていない時間帯のブッダホールに案内してくれました。

そこでラニが私たち二人に、いまだかって起こったことのない歴史的イベントの報告をしたのです!

それは、OSHO直伝のアイデアです!

その日の夜7時の瞑想の10分前にOSHOがブッダホールに入ってくるときに、太母さんに薔薇の花びらをポディウム(壇上)の上から振りかけ、その後にOSHOの最新版の本『禅マニュフェスト』をプレゼントすることが、太母さんの訪問に対する心ばかりの感謝のしるしとして捧げられる計画があると伝えられました。このときの直感的私の理解は、これが本当にその時にできる最大のOSHOからのギフトであるのだろうってことでした。彼の体はその頃、本当に弱っていたからです。

*補足:その当時、OSHOはサイレンスに入っており、タリウム毒のせいで体調も相当優れず、講話はこの時から7ヶ月半前に話された前述の『禅マニュフェスト』を最後に、毎晩7時からの10分の瞑想のためだけに私たちの前に立ってくれていました。今思い返してみると、その頃のOSHOは体調が許す限り私たちと一緒に思いっきりトータルにダンスし、その後の10分間、サイレンスの中で一緒にすわる瞑想のためだけに生きていてくれたんだ、ずっとこの究極のサイレンス(静寂)の起こりために、その前までの35年ほどに及ぶ彼のワークがあったのだし、ここまで準備を整えていてくれていたのだと理解できます。この夜の瞑想を彼は『ホワイトローブ ブラザーフッド メディテーション』と呼び、1日の汗を流すシャワーを浴びた後に真っ白なローブに身を包んだ私たちがブッダホールに集まること、交互に起こる音楽とサイレンスのコンビネーションが瞑想を深めること、瞑想中のサイレンスが深まるような瞑想性の高い音楽を奏でることが大切なこと、そういう音楽が奏でられるとそのあとのサイレンスが究極に深まること、音楽と瞑想は切っても切れない関係があることなどを、このホワイトローブ瞑想を通して、身をもって伝え教えてくれました。朝6時からのダイナミック瞑想でアクティブに激しく動いて体と気持ちを心地よく起こし、元気に1日を始める第一チャクラの瞑想に対し、この1日の終わりに行われるホワイローブ瞑想は1日の最後にすべてのマインドを手放し、身体とマインドを清浄にして、深く安定した眠りを誘うための第七チャクラに当たるような瞑想だと私は感じています。今もこの瞑想は起こり続けていますし、三十年近く前も今も変わらず、私が一番好きな心底休まる瞑想のスペースです。*

OSHO大使のラニ曰く「これは過去に一度も起こった試しがない相当稀で素晴らしいOSHOからのギフトなのです!」と、OSHOからの太母さんに対する尊厳を表す特別なウエルカムプレゼントに対し相当興奮気味です。