まだ見ぬ三位一体の国ドバイTRINITY TRAVEL FILE Vol.18 PER REPORT

TRINRY TRAVEL第18回ではドバイ首長国をご紹介。世界中に有名な高級リゾート地という以外に、民族に根ざした独自の文化や宗教によって生み出される魅力的なスポットがたくさんある、知られざるドバイの一面。どうぞご期待ください。

現在も街中のあちらこちらで、新しいビルの建設が進行中

 

ウェブでお送りするドバイ・レポート。さて早速TRINITYらしいスポットを、と思いきやドバイにはヒーラーはおろか占い師すらいない。その秘密は、この街の文化と精神世界を支えるイスラム教の存在。ではなぜヒーリングや占いがいけないの?アラブの先進国ドバイの根っこに流れる、神秘的な宗教の密教を追いかけてみた。 建設中の高層ビルが立ち並び、半年いれば道路の構造さえ変わってしまうほど、今まさに発展中の勢いみなぎるドバイ市街。世界中から注目を浴びるそんな大都会でも、街中至る所で目に付くのは日差しに映える白亜のドーム屋根建設物。これが、イスラム教の寺院であるモスクだ。現在の人口約120万人、うち8割以上が外国人といわれるドバイで、モスクの数は560。この国ではエリア毎の人口密度に合わせて必ずモスクを建てる規則があるほど、イスラム教が暮らしに根づいている。ついアラブ人の民族宗教のように捉えがちなイスラム教だが、信者の数はなんと全世界の約5分の1。その数はキリスト教に次いで世界第2位という規模を誇る。   そもそも“イスラム”とは「神に身を委ねる」という意味で、多種多様な神様がいる日本の神道とは違い、イスラムで神といえばアッラーただひとり。冒頭に書いたヒーリングや占いがないというのは、アッラーは通常、預言者を通して教えを人々に伝えるとされているため、預言者でもないのに他人の未来を語るのは、アッラーへの冒涜とみなされてしまうからだ。ちなみにこのアッラーの教えを、神が遣わした最後にして最高の預言者ムハンマド(モハメッド)が全人類に向けて伝えたのが、聖典コーラン(聖クルアーン)だとされている。さぞかし難しいことが書いてあるのか、と聞いてみると、ある人に言わせれば「人間取り扱い説明書のようなもの」だと言う。なかにはどんなことが書かれているのだろうか。

 

贅沢な高級リゾートの存在で、世界中の注目を浴びるドバイ

 

信仰の核であるモスクに、毎日たくさんの人々は祈りに訪れる

 

コーランに書かれている信教の核となる記述のひとつに、信徒が守るべき5つの約束「5柱」がある。1つ目は「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、公言すること。2つ目は毎日聖地メッカに向かって、5回祈ること。そんなに祈って仕事に支障は?などと誤解を生むこともあるそうだが、実際は1回5分ほど。しかも5回のうち2回は朝と夜なので、勤務中の祈りはたった15分。ちょっとした休憩時間より短い計算になる。祈りの最中は日々の行いを振り返り、アッラーが正しい方向へ導いてくれるよう願いのだそうだ。3つ目は貧しい人たちに施しをする「喜捨」を行うこと。一定以上の財産を所有する全ての人が財産の2.5%を「喜捨」を行うこと。一定以上の財産を所有する全ての人が財産2.5%を喜捨し、皆で助け合おうという精神だ。4つ目はラマダン月の断食。これは太陽暦の9月に行うと決められており、太陽が昇っている間は水も食べ物も口にできない。ラマダン中は神(アッラー)を意識する機会を増やし、嘘やケンカなど悪い行いもご法度。空腹感を感じることで、食べたくても食べられない人の気持ちが分かると同時に、「今、世界中のイスラム教徒が同じように頑張っているのだ!」と、連帯感を感じるのだという。5つ目は、聖地メッカへの「巡礼」。可能であれば毎年、難しければ一生に一度は行くべし、とされている。

こんなに厳しい教えを守るなんて大変!と感じるが、どの教えも体力的・経済的に無理がある場合はしょうがない、というからまた驚いた。形式ばかりを優先させて無理をするより、自分の現状を見つめてできる最善を尽くす。年齢も貧富の差も越えて、大いなるものに包み込まれているのような安心感。この話を聞いて、そんな感情を覚えた。

 

伝統衣装を身につけ、アッラーの教えを説明するモスクの男性

 

しかし辺りを高級車が走り回り、背の高いビルが立ち並ぶ街の様子と、生活上の戒律を持つ宗教とのつながりがピンと来るような、来ないような。そんな文化の背景を紐解く、こんな話を聞いた。

1950年代まで、この大都会ドバイは天然真珠と行商を生業とする漁業の国だった。しかし、我が国日本が真珠養殖の産業化に成功。ドバイは、上下水道の整備はおろか学校教育さえ十分ではない状況に陥る。だが、時のドバイ首長シェイク・ラシッドが、海と一緒に生きてきたドバイを再生するために私財を投じて港湾を整備したところ……なんと油田を発見するのである。それが現在の大都会ドバイの始まりだ。あくまで想像だが、このエピソードがドバイ人のアイデンティティ、砂漠の民であること、そしてイスラム教徒であることへの誇りを物語っているような気がした。

今でも都会をはずれると、どちらを向いているのか分からなくなるほど広大な砂漠が広がるドバイ。遊牧民として、時には50℃を超える厳しい環境で暮らしてきたルーツを持つ彼らは、首長を中心に民族として助け合う結束が固い。しかしどんなに助け合おうと努力しようと、自然な時は砂嵐を起し、水と枯渇させる。そんな厳しさのなかでの大切な心の拠りどころが、どんな出来事からも学びがあると説くイスラムの教えだったのではないだろうか。そして、誰よりもその教えの体現者であるべき民族のリーダー・首長が、国民のために自ら財を削った行いが、結果として現在の繁栄を呼び起こす。それをこの目で見たドバイ国民は、助け合いの精神を持つアラブ民族として、そしてアッラーの前に良き行いを誓うイスラム教徒として、その出来事を大そう誇りに思ったに違いない。そんな精神的背景が、現在の発展と宗教との自然な共生の姿を生み出しているのかもしれない。

イスラム教には、聖職者や僧侶という存在がない。各モスクの代表者は共にイスラムの道を学ぶ者としての立場を貫き、人々と自然に交わり、気さくに声をかけあう。その姿は、精神的指導者そいうより、良き兄、良き父のようだ。そしてモスクに集う全ての人たちは、修行の場である今生をより良く生きようと、祈りや行いを通して神と対話する。人々はモスクを、祈りを通して、アッラーの前では誰もが一人の迷える人間である、と感じ、そして周りにいる誰もがそうなのだ、という連帯感をさらに強めていくのではないだろうか。そんな彼らのスピリチュアリティを知った時、不思議に見えた習慣や風俗にも、信抑に基づきより良く生きようと暮らす彼らの道が、もっとはっきり見えてくるかもしれない。

 

■STAFF 取材・文/木内アキ 撮影/漆戸美保

■取材協力 ドバイ政府観光・商務局

■参考文献 イスラーム 世界宗教の教えとその文明(イスラーム文化センター発行)