松田有真のミラクルHappy☆Life宮古島~宮古島の昔の人々の暮らしとお水を、もう一度PART.2~

宮古島の井戸

~前回の続き~

 

掘り抜き井戸の歴史は今から700年前に遡ります。上の写真が「掘り抜き井戸」です。13世紀の中ごろ、日本勢力の南下によって鍛冶の技術が伝来しそれと共に石工技術が進歩してくると井戸の開削や墓地の造営、橋道建築等著しい進歩を遂げました。

鍛冶の伝来によって井戸が開削され、橋道が建設されると、人々は自然壕や雨水に頼る生活から、居住に適した土地を求めて移住するようになり、産業も次第に発展してきました。

宮古島には全島で数百の井戸があると推測されますが、その実数を把握するのはどうやら難しいようです。なぜならば、個人の井戸や、すでに埋められてしまった井戸が多い為です。

宮古島には随分とたくさんの井戸があったのですね。その古き時代の名残は今でも時折、目にすることがあります。

こちらがクバの葉を吊るしてそこから雨水を得て瓶に溜める方法。

女性たちは水汲みに一日を費やす

1日の殆どの時間を水汲みに費やさなくてはならないのが婦女子の日課でした。その大変な苦労を少しでも軽減するべく住家の周囲に幾つもの水瓶が並べられ、様々な工夫をして雨水を貯水し生活用水に使用していました。

中でも、特に木から取水するお水が美味しく、飲料水として重宝がられたと言います。上図のように庭先にクバの葉を逆さまに吊るし、先端を瓶の中に入れて取水する方法が主に採用されていました。

こちらは水瓶。とても立派な水瓶です

水瓶の存在はとても重要だったそうです。この大きな瓶は、水瓶として一番利用されていたタイプの瓶だったそうです。

屋根から樋を伝って流れ落ちる水から雨水を取る風景

大正4年頃にはセメントが輸入され、レンガ壁の建物が少しずつ立ち始めました。こちらも市内商店街など裕福な住宅のみに作られたもので、一般家庭には縁遠いものであったそうです。

狭い井戸口で作業を行う女性たちの姿 

狭い井戸口では4、5名しか働く事が出来ませんでした。その為、順番が来るまでよもやま話に花が咲いていたようです。いわゆる「井戸端会議」です! 日々の水汲み仕事の合間の、束の間の穏やかな時間が流れているのが垣間見られます。

こちらは50メートルもある深い井戸から手繰りで汲み上げる女性の姿です

井戸は、地域によって随分と深さが違っていたそうです。例えば、高台地のある場所では、50メートルにも及ぶ深い井戸があり、一方の地域では地下1メートルも掘れば水があるという具合です。

井戸から1回で汲み上げられる水の量はおよそ1.5ℓ。ブリキに一杯にするには15回~20回も汲み上げなければなりませんでした。そして、この作業が終わると、長い、長い自宅までの道のりが待っています。それでも黙々と働く女性たち……生きていくために欠かせない毎日のお仕事だったのです。