ココロセラピストが語る!?『引き寄せの法則』ザ・ビギナーズ~手放す、手放さない問題について~

手放す

手放す話。

引き寄せの法則のコツに、手放すというものがある。出すものを出すと、別の何かを取り入れるスペースができるということらしい。というわけで、手放すと、何かを引き寄せられるのか、という話をしようと思う。これは、まぁ、運もあるとは思うが、ある時を境に急展開が起きた。悪い意味で、だ。具体的に書きたいが、関係者に迷惑がかかる可能性があるので、そこは敢えて伏せておく。

当時の僕はプライドをズタズタにされた。人間性や今までの努力をすべて否定された気分だった。というか、内心は今でも、そう思っている。が、それはそれとして、僕は立場も悪くなったし、ぶっちゃけ収入も減ってしまった。世間体も悪くなったかもしれない。心身ボロボロになっていて、かなり参っていた時期があった。そんな状況ではあったが、しばらくすると、自分の中で何かが変化した。環境がガラリと変わったからかもしれないが、心が軽くなった気がしたのだ。

「馬鹿にするならすればいい。見下すなら見下せばいい。変なレッテルを貼りたければ貼ればいい。だからどうしたというのだ。僕は別にふざけて生きていないし、逆にいうと、そんな低俗な輩とのしがらみは早々と消し去りたい」と、なかばやけくそみたいに考えていた。自暴自棄に聞こえるかもしれないが、決してそういうわけではなかった。僕は自分にとって不利益な人間とは関わりたくないし、小さな見栄やプライド、ましてや小銭のために、必要以上に大きな代償を支払う気は毛頭なかった。

プライドが回復するには時間がかかったが、自分の人生は真面目に使った。仕事も真面目にしている。ただし、今までと違うのは、目立たないように、目立たないようにしているということくらいだ。今更ながら思い返してみると、当時の僕には、自分のQOLを高めるためには、環境を変えるためには自己犠牲の精神も必要だし、痛みに耐えながらも戦い続けなければならないと思い続ける自分がいたのかもしれない。

望まなかったにしろ、その件でたくさんのものを失ったが、自分自身の小さな見栄のようなものも、減らすことができたようだ。劣悪時代の僕は心身が摩耗していたので「健康を手に入れたい!」と強く願っていた。もしかすると、健康を手に入れるために、引き寄せパワーが発動して強制的に環境が変わったのかな、なんて、今ではお気楽に思えるようにもなった。

徐々に健康になって行く話。

プライドが傷つきながらも、なんとなくお気楽になれるようになってきて、気が付いたら心が少しずつ軽くなってきたのは本当だ。そして。これも、今となって考えると「そういえばそうだったな……」と思えることがある。それは、悪夢をほぼ見なくなったということだ。

僕は、過去の記事でも再三、悪夢について語ってきた。これでもかというくらい、悪夢を見続けてきた。だが、今は、ほぼ見なくなったのだ。悪夢ではないにしても、夢をリアルに覚えていることが多かったが、それもなくなった。起きたら直ぐに忘れてしまっているようだ。

仕事が楽になったのか、といわれれば答えはNOだ。だが、変なしがらみがなくなったので心が軽くなった。仕事は楽ではない。だから、仕事が終わるとくたくたになって、直ぐに寝てしまうようになった。それが、良いことかどうかは別問題として、悪夢を見る余力がなくなったのは、少なからずその影響もあるのかもしれない。

仕事がつらくて、ストレスも尋常ではなかった頃は、ハッキリ言えば回復に使える時間が確保できないので、言うなれば地獄だった。いつの間にか、安眠まで引き寄せてしまった。睡眠で悩んでいる人はわかると思うが、「たかが、そのくらい……」のレベルではない。結構しんどいのだ。

睡眠の質が上がると、体力も変わってくる。体力というか、元気とでも言った方が良いだろうか。夜になったら、くたくたになって眠ってしまうが、朝は、ちゃんと元気な状態に戻っているのだ。まるでRPGの宿屋だ。今までは、寝たって回復なんかしなかった。だから、このゲームのような嘘くさい話にリアルを感じることができた。ここが、ある意味重要なポイントでもある。自分の中で非現実的なものであっても、リアリティが少しでも得られると引き寄せ度は格段に上がる。

きっかけさえあれば、苦労せずに引き寄せできる。

僕は徐々にHPが回復してきた。恐るべし、引き寄せ。メンタルが弱っているときは正直、引き寄せの法則を悠長に使っている余裕などなかった。だが、きっかけさえ掴めば、引き寄せは案外簡単なのかもしれないと思えてきた。お気楽気分、安眠、元気を引き寄せた僕の引き寄せはまだまだ続いた。「もっと元気になれる何かを引き寄せる」というイメージをしていた。手段ではなく、元気な自分の姿を想像し続けた。

とある誕生日、僕はプレゼントに、ちょっと良さげな染髪道具と頭のマッサージをする、イガイガしたヤツ(名前は知らないが、スーパーマリオに出てくるトゲゾーみたいなやつ)を貰った。これがまた、すごかった。トゲゾー(?)で頭をゴシゴシしてみた。そうすると、両耳の上あたりと、おでこが、とても痛かった。痛かったが、心地よい痛みだったので、毎日懲りずにゴシゴシしていた。すると3日後くらいから変化が現れた。頭の横、つまり両耳の上あたりの痛みがほぼなくなったのだ。

というか、ここでまた気づいてしまった。頭が軽くなったというか、スッキリしたというか。つまり、今まで、頭は、常にどこかモヤモヤしていて、重苦しかったのだ。それが当たり前すぎて、忘れていたのだが、回復すると、こんなにも世界が違って見えるようになった。いつの間にか、頭を別のものと差し替えられたのではないかと思えるほどだ。

自分自身が努力して何かが変わったとか、そういうことではなく、少しずつ、いろいろと引き寄せをしているうちに、本当にちょっとずつではあるが、健康度がアップしてきたのだ。まぁ、僕は神ではないので、やっぱり悪夢を見るときは見るし、具合が悪くなる時は悪くなる。だが、それは、たまたまであり、比較的短時間で回復できるようになった。

それはそれとして、引き寄せに執着は禁物だ。健康は引き寄せ続けているが、健康マニアになるつもりはない。あくまでも、引き寄せを楽しみながら健康になる、くらいの考えが心地よい。心身が回復さえすれば、ある意味、可能性の幅が広がるので、もっと、いろいろなチャレンジをしたくなるかもしれないし、もっと、いろいろ引き寄せてみたいと思うようになるかもしれない。

現時点では、あれもこれも引き寄せようとは思っていないので、必要に応じて、小さな引き寄せを繰り返して楽しみながら暮らしている。振り返ってみると、結果としてリニューアルした自分、を引き寄せてしまったのかもしれない。それはとても喜ばしいことだ。しかも、必要以上の努力はしていないし、犠牲に大切な何かを失い続けているわけでもないのだから。ラッキーすぎる。

手放さない話。

引き寄せのコツとして、手放すというものがある。だが「手放さなければならない」というわけでもないと僕は思っている。強制的に、見えない力によって何かを奪われてしまったら、それはそれで話は違ってくるかもしれない。だが、それもまた必要があれば勝手に何かを手放さざるを得なくなる、ということなのかもしれない。

よく、ダンジャリとかミニマリストとか、モノをなんでもかんでも捨ててしまえ的な意見があるが、僕は必ずしもそうは思っていない。だって、「あれ、捨てなきゃよかった……」とか、実際問題たくさんあるでしょ。そうすると負の感情が強化されちゃうから、僕はそこまで無理しなくていいんじゃないかと思っていて。

僕は、ダンジャリストでもなければミニマリストでもないので、本当は、むやみやたらに捨てれば良いと推奨しているわけじゃないかもしれなくて、僕の偏見かもしれないけど。自分の中で「これ、本当はいらないよな……」と思う、物、者、時間の使い方、などは、どんどん手放した方が良いと思う。だが、基本は、人だろうが、物だろうが、時間だろうが、大切に扱った方が良い。それらに感謝することも必要だと思う。感謝の気持ちを忘れてまで、何かを得たいと、そもそも、あなたは思わないでしょ。

今回の僕の事例は、見えない力に大きく環境を変えられてしまったけれど、運よく、そこで引き寄せを使いこなすきっかけになった、という話だ。人によって引き寄せのコツを身につけるタイミングは違うと思う。だが、この話はこの話として「へぇ。そんなこともあるんだね……」程度に思ってもらえればと思う。





  

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