神秘思想家・研究家

アーサー・コナン・ドイル(イギリス)

Arthur Conan Doyle

推理小説「シャーロック・ホームズ」で有名だが、晩年には神秘主義に傾倒。江原啓之氏が所属することでも有名な英国スピリチュアル協会「the Spiritualist Association of Great Britain」の会長にも一時期就任。

 

アーサー・コナン・ドイル 名言

When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.

全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる。


The highest morality may prove also to be the highest wisdom when the half-told story comes to be finished.

物語の知られざる側面を明かすとき、崇高な道徳心が最高の知恵であることに気付くであろう。

出典 英語名言ドットコム

 

 

凡人は自分より優れた者の存在を知らない、

しかし才能のある者は天才をすぐに見分ける。
出典 Fesh 名言ネットワーク

出典 コトバダイスキコトバスキー

 

 

私は仕事で疲れたという記憶はまったくない。

しかし、何もしないでいると、くたくたに疲れきってしまう。

人々は自分たちが理解しないことを軽蔑する。

人々は彼らが理解しがたいことを嘲笑する。
出典 ウェブ石碑

 

 

アーサー・コナン・ドイル 家族

妻は、先妻のルイーズと、後妻のジーン。子供は全部で5人。ルイーズとの間に、長女マリー・ルイーズと長男アーサー・アレイン・キングスレイ。ジーンとの間に、次男デニス・パーシー・スチュワート(グルジア貴族の娘と結婚し、アメリカでの派手な暮らしで破産同然となる)、三男エイドリアン・マルコム(レーサー探検家)、次女ジーン・レナ・アレット(幼いころから父親の心霊スポット行脚の旅に同行し、両親の死後、イギリス空軍の軍人になり、定年まで勤め上げる。夫も軍人)。三男のエイドリアンは、ジョン・ディクスン・カーの協力を得て、ホームズ・シリーズの続編をいくつか出版した。次男と三男は父親の財産で放蕩の限りを尽くし、父親の版権相続を巡って一族内で裁判沙汰が絶えなかった。1997年に次女で末娘のジーンが亡くなったことで、コナンドイルの直系の子孫は断絶した[5]

ドイル作品の版権は次男の死後、三男に引き継がれたが、その一部は、次男の未亡人による裁判によって未亡人のものになったが、彼女の経済的破綻によりロイヤルバンク・オブ・スコットランドのものとなり、その後 個人に売却された[6]1980年にドイルの版権は英国のパブリック・ドメインになったが、アメリカでは著作権法により2023年まで保護されることになり、次女のジーンに引き継がれた。ジーンの死亡後は、その遺言により王立盲人協会に譲渡されたが、のちにドイル家の傍系の相続人に売却された[7]

出典 Wikipedia

 

 

 

アーサー・コナン・ドイル 英国心霊現象研究協会

イギリスの作家アーサー・コナン・ドイル(1859~1930) は、名探偵シャーロック・ホームズの生みの親としてよく知られているが、その一方で非常に熱心な心霊研究者だったことでも有名だ。

ドイルが「心霊主義(スピリチュアリズム)」に関心を寄せるようになったのは、ホームズ物語を執筆し始めた1886年頃といわれている。米国ニューヨーク州の最高判事であり心霊研究家でもあったエドマンズの回想録を偶然手にしたドイルは、それをきっかけに心霊関係の本を片っ端から読むようになり、実に多くの著名な科学者たちが霊の存在を信じ探求していることに驚くこことなる。

19世紀後半から20世紀初めにかけての欧米、特にイギリスでは、心霊現象を科学的に研究する心霊主義が大きな社会現象となっていた。それに強く心惹かれたドイルは、1891年に「英国心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research =略称SPR)」の会員となり、心霊思想の普及に力を注ぐようになる。

ドイルが心霊主義に深く傾倒した要因のひとつには、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあったといわれている。息子を亡くしてからのドイルは心霊研究にますます熱を入れ、自ら交霊会を主催し、国内外での心霊学の講演や関係著作の執筆などを活発に行っていたという。

ちなみに長きにわたって続けられたホームズ物語の執筆は、それら心霊思想普及活動の費用を作り出すためのものでもあったらしい。

出典 And your bird can sing

 

 

 

 

アーサー・コナン・ドイル 心霊学

「コナンドイルの心霊学」(潮文社発行)には、始めは霊魂説に懐疑的だった英国の眼科医・コナンドイルが、のちに“スピリチュアリズムのパウロ”と言われるまでに霊魂の存在を確信するに至った様子が如実に語られています。

当時(19世紀後半から20世紀初頭)は、多くの先駆者達の手により、「死後存続の事実証明」が為された時代であり、先駆者達の努力に私は深く感服しました。

中でも一番感服したのは、スピリチュアリズムに懐疑心を抱きながらも、交霊会で得られた現象には、頭から否定できない何かがあるとし、真摯に検証していく姿勢を崩さなかったことです。

テーブルが浮いたり、楽器がひとりで演奏したりする現象は、それだけでは何の意味もない……しかし、その他愛ない現象の裏にあるのは、「目に見えない知的存在」=「スピリットの実在」であり、その意味では非常に重要な意味があると主張したドイルは、心霊現象を、電話のベルに例えて、次のように述べています。

「電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もなく重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は(中略)電話のベルにすぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象である。が、それが人類にこう呼びかけていたのだ ─ “目を覚ましなさい!出番にそなえなさい!よく見られよ、これが、しるしなのです。それが神からのメッセージへと導いてくれます”と。

本当に大事なのは(中略)そのあとにくるメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである (*注1)。それが果たしていつのことなのか、どの程度のものがどれくらいの鮮明度をもってもたらされるかは、誰にも分からなかった。

しかし、大切なのは ─ 現象そのものの真実性は、まじめに取り組んだ人には一点の疑念の余地もないまでに立証されているが、実はそれ自体は重要ではなく、その現象が示唆しているものが、それまでの人生観を根底から覆し、生命の死後存続という宗教的課題がもはや“信仰”の領域のものではなく、確固たる“客観的事実”となってしまうに違いない ─ ということである」(51ページ)
出典 日常の中のシルバーバーチ

コナンドイルの心霊学  新潮選書

霊界から地上界へ通信が届けられる方法には大きく分けて次の3つがある。

(1) スピリットが語る場合

 霊言現象 スピリットが霊媒に乗り移ってしゃべる場合で、日本で「お告げ」とか「口寄せ」と

   呼ばれているものがこの部類に入る。

 直接談話現象 霊媒から出るエクトプラズムという特殊物質で人間の発声器官と同じもの

   をこしらえて、スピリットがしゃべるもので、霊媒から離れた空中から直接声がするので

   そう呼ばれている。

(2) スピリットが書く場合

 自動書記現象 通信霊が霊媒に乗り移って、われわれと同じ要領で綴る場合で、「おふで

   さき」と呼ばれているものはこれに属する。

 直接書記現象 神と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、

   暗号などの場合もある。

(3) 幽体離脱(体外遊離)による旅行体験記の場合

   霊的身体で体験したことや教わったことを肉体に戻ってから自分で綴るもので、次元の

   異なる世界の事情を、脳を中枢とした意識でどこまで正確に再現できるか問題である。
出典 コナンドイルの心霊学

コナン・ドイルといえば、名探偵シャーロック・ホームズの作者として、あまりにも有名ですね。 (コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズと江戸川乱歩の「明智小五郎と少年探偵団」シリーズが、子どもの頃の私の中での2大愛読書でした。)

実は、ドイル氏は医学部出身で専門は眼科。
さらに、シャーロック・ホームズシリーズは、医者としての仕事の合間の暇つぶしに書いていたら、たまたまヒットして書かざる得なくなった、という信じられないエピソードがあるのだそうです。(本人は歴史小説を書きたかったのだそうですが…)

ヒット後、あまりの忙しさとプレッシャーから、
「僕はホームズの殺害を考えている… 彼を永久に消してしまいたい。ホームズは僕の心をよりよいものから取り払ってしまった」
と、母親への手紙で書くくらい。
(実際、「最後の事件」で宿敵モリアーティ教授とともに、ホームズを滝壺に突き落とし、まんまとホームズを亡きものにしています。しかし、ほっとしたのも束の間、愛読者からの熱烈なラブコールに押され、しぶしぶ「空家の冒険」で復帰させた経緯があります)

そんなコナン・ドイル氏のもうひとつの顔が、なんと心霊学の熱心な研究者であり開拓者!
晩年は夫人同伴でアメリカや北ヨーロッパの各地を回って、心霊学の講演や執筆などを積極的に行ない、「心霊主義の聖パウロ」との異名をとったことは、意外と知られていません。
出典 つれづれに・・・・