【その相手、あなた自身です】
まず、自分でも自覚できない潜在意識の奥底に沈めた自分のマインドを見せてくれているのが目の前にいるその人だと、受け容れること。
その相手は自分の自覚できていない自分なんだと受け容れて、相手が見せてくれているマインドを天に委ね、癒してもらうのです。
これがどうして、実践してみるとなかなかに厳しいワーク。
だってね。
どうしても好きになれない友人。
うざすぎる知人。
顔を合わせるのもやめたいくらいの職場の同僚。
自分の期待に応えてくれないパートナー。
それもこれもすべて自分が自覚できていないマインドの一部だとしたら?
「ちょーさいあくーーーー!!!!!」
「こんなのあたしじゃないーーーーー!!!」
と、言いたくなりませんか?
嫌であればあるほど、受け容れることに対する抵抗がきます。
「そういう相手とはそもそも、適切な距離をおいて付き合いますんで」的な。
「いちいち相手にしていたら身が持ちませんから、見ないようにしています」的な。
「こっちもいろいろ乗り越えてきたんで、そういう相手には何にも感じなくなってるから問題ないっす」的な。
あ、ブッダから、視線のレーザービームが。なんでしょう?
「それ、分離と言います(サクッ)」byブッダwith勇者の剣(=金剛杵)
【ダメだと思っているところこそ、癒しのポイント】
「こいつが私の潜在意識代表なわけがない」
と、思う相手こそ、自分を見せてくれているのです。
自分自身が「この自分はいい」「この自分はダメ」と振り分けてしまった、ダメな方の自分は見たくない。
だから私たちは、日々、自分自身のマインドの反映である相手を切り捨てています。
というか、潜在意識の奥底に涼めてしまった自分の癒しポイントを、わざわざ見せてくれている相手に感謝するどころか、この際亡き者にしよう、とか思っているわけです。
ほんとは、ダメもいいもないのに。
自分でダメって思っているところは、「癒すポイント」でしかないのに。
まぁ、どうしても見たくないから、そうしないとがんばれないから、潜在意識の中に埋め込んでしまったわけなのですが……。
ここで、「正見(しょうけん)」。
「良い」「悪い」のジャッジをやめ、そのマインド、癒し切りましょー。
そうすることが、本当の意味で自分自身を楽にするということ。
意欲を持って、目の前の相手を「自分のマインドの一部である」と責任を持ち、自分の心を癒すという選択をする。
この、意欲を持つ、ということがすべての始まりとなるのです。
普段、神様や仏様のことを人一倍大切にしている母の、住吉神社での暴言。
それは本当に、ただただ私の心の『無自覚な部分』『潜在意識の奥底に沈めたマインド』を見せてくれただけだったんだなと、思った出来事でした。感謝、母。
【世界平和は自分の心の平和にかかっている、という自覚が「正念」】
さて、では私たちはどうして自分の心を癒す必要があるのでしょうか。
このまま苦しみ続けたっていい。
その痛みこそ生きている証。
苦しくったって、大丈夫!
なーんて思いながら生きているそこのあなた!
ノーモア『苦』!!!
ノーモア『無明』!!!
なぜ私たちは自分の心を癒すのか。それは、この世界全体の癒しが、私たちひとりひとりの心の癒しにかかっているからなのです。
「一念三千(いちねんさんぜん)」という仏教の言葉があります。私たちの生命(=一念)には、誰にでも例外なく、全宇宙(=三千)が備わっている、という意味です。
「この世界は自分の心の反映である」
ということはつまり、
「この世界の癒しは、自分自身の心の癒しにかかっている」
と言い換えることができるというわけ。
え? 外国で起きているそのテロ、私の心の反映のはずがないんですけども。
私、自分で言うのもなんだけど、わりと穏やかなタチで、ちょっとやそっとのことでは腹も立てないし。
とか~、
は? その国際紛争、自分の心の反映のはずがないんですけども。
自分、こう見えてすごい平和主義者で、人と争うのが嫌いだから、大体のことは譲っちゃっても全然平気なんですよ。
とか~、
はい!? こんなにたくさん、虐待やネグレクトの問題が取りざたされてるけど、それ、私たちの心の反映のはずがないですよね? だって、みんな子どもたちがしあわせに元気に育つことを願って子育てしている仲間なんですよ?
とか。
はいブッダ。
言っちゃってください。
どーぞ、言っちゃってください。
「自分の顕在意識、3%。残り97%は、無自覚な潜在意識。あなたたちが『自覚している』と思っているその『自覚』は、実は幻想です。あなたのその状態、『無明』です」byブッダ
うっそ! びっくり!
そう。
ブッダは、3%の顕在意識が「これが全部です」っつって見せている幻想から目覚めて、自分自身の、そして宇宙全体の真実のすべてを見ることができるようになったから、「目覚めた人」と言われているわけなのです。
【日常においてこそ、八正道の実践を】
私たちひとりひとりの心のしくみとこの世界のしくみが同じであるということはつまり、この世界に映し出されている闇はすべて、癒しが必要なポイントである、ということ。
であるがゆえに、自分のマインドの癒しをすすめることが、この世界の平和への、唯一無二の貢献となるのです。
その癒しの実践は、今までお話ししてきた八正道の実践にほかなりません。
ただ、この八正道の実践は一人きりで行うのは、やはり厳しいもの。
であるから、仏(=真理の源であるブッダ)を頼り、法(=真理の教え)を頼り、僧(=真理を学ぶ仲間)を頼りなさいと、ブッダは強く、言い残したのです。
「この世界の癒しは自分自身の癒しにかかっていると自覚し、毎瞬クリアリングし毎瞬センタリングをし、自身の癒しをすすめること。それが何よりもパワフルな世界平和への貢献である」
この自覚こそが、正しい自覚、「正念」なのです。
八正道の実践を、日々に。
いつも。
どの瞬間も。
中道でね。
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