【日本人にとって怖いイメージのある鬼】
鬼というと、私たち「日本人にとっては怖いもの」というイメージがあります。地獄につきものの存在ですし、多くの伝説や昔話では「人を食べたり、脅かす悪者」として描写されることが多いために、幼い頃から「鬼=怖い」という印象が染みついているのかもしれません。
最近では、携帯電話会社のCMで鬼を退治する桃太郎と鬼が仲良くしていたりするので、そのようなイメージも薄れてきたのかもしれませんが、今から800年以上前、まだまだ鬼が恐れられていた時代に、「鬼のために立てられたお寺」が存在しています。
【相反するものが融合した理由とは?】
お寺というのは、「人間の魂を救済し、死後の安らぎをもたらし、仏様と繋がる場所」ですので、「鬼というネガティブな存在とはまさに正反対」なのですが、どうして、そのふたつが結びつくようなことが起こったのでしょう? そこには、「悲しい鬼の物語」があったのです。
【鬼の家族と徳の高い僧侶】
昔、鬼野という場所に鬼の家族が住んでいました。あちこちに出かけては悪さをしていたのですが、あるとき、「父親の鬼が病気」になってしまいました。「108歳」という高齢だったこともあり、子供の鬼達はどうしようもありません。
そんなとき、浄土宗の開祖である「法然上人」が鬼野の近くを通りかかることを知り、徳の高いお坊さんならば助けてくれるかもしれないと、子供達は法然に父親の治癒を頼みます。そこで「南無阿弥陀仏」を唱えることで、「仏の加護が得られる」ということを法然から教わるのです。
子供の鬼達は家に戻って、「一生懸命南無阿弥陀仏を唱えた」ところ、無事に親鬼は「病気から回復」しました。そうして、それからは心を改めて悪さはしなくなったのです。普通なら改心してめでたしめでたしとなりそうなものですが、この鬼達は「今までの自分たちの悪さを悲観して、なんと、自らを傷つけて自殺」してしまいました。
それをしった法然は、「鬼達の遺骨を住処から最も近いお寺に預けて供養する」ことにしました。そのために、お寺の名前も「鬼骨寺(きこつじ)」というおどろおどろしいものとなったのです。ちなみに、現在でも鬼骨寺は存在しています。一般公開はされていませんが、「鬼の骨が寺宝として保管されている」だけでなく、鬼達が自殺する無残な様子を描いた絵も残っています。この、鬼骨寺の成立には、異説もあり、そちらでは鬼の父親が法然に長寿の秘訣を聞いたところ、現世では無理だが、「南無阿弥陀仏を唱えて改心して成仏するならば、あの世ではいつまでも幸せに暮らせるだろう」と説いたところ、「海に飛び込んで自殺した」というようになっています。この場合も供養としてお寺は建てられるのですが、海に飛び込んでしまったので、遺骨の出所が若干微妙といえるでしょう。
【すべてに成仏を唱えた法然】
法然は当時、「成仏することが出来ない」とされていた女性にも、仏教を伝えていたことから、魔物である鬼も区別なく、救いの手を伸ばすことができた人物だったわけです。そんな「慈悲の心」と、鬼達の悲しい性が感じられる物語を伝える鬼骨寺は「徳島県」に存在しています。
前述したように鬼の骨は見ることが出来ませんが、本堂には「鬼の人形」が飾られていたり、鬼と関係の深い「閻魔大王」が鎮座するなど、名前どおり鬼の雰囲気を漂わせながらも、しっとりと落ち着いたエネルギーに満ちたお寺ですので、近くを通った際には立ち寄って、怖いだけでなく、悲しい鬼のことに思いをはせてみるのはいかがでしょう?
【今回紹介したスポット】
鬼骨寺
徳島県鳴門市北灘町折野字屋敷129
It was built a temple for the demon.
Story of sad demon.
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