ポタリングでどこまで行ける? 熊野街道 彼岸花咲く秋、堺から高石市、和泉市へ。

ポタリング

●大鳥神社から大鳥居王子へ。

前回の熊野街道ポタリングは、大鳥神社辺りまで進んだ。
今回は、大鳥神社の前を通って熊野街道をさらに南へ向かう。

しばらく走るとJR鳳駅があり、踏み切りを渡ると商店街がある。
この商店街の途中に、大鳥居王子跡を示す石碑がある。
熊野詣の際に、無事参拝が叶うようにと祈願し、癒しを得るために設けられたのが熊野権現を祀る王子で、大鳥居王子はこの付近にあったようだ。

熊野街道を行く道には多くの寺社が残っているが、王子のほとんどはすでになく、石碑として残されているだけ。

当時の様子は想像するのも難しいが、苦行の旅ほど御利益も大きいと信じられた熊野詣の道中で、癒しを求める人々の願いを受けとめ続けた王子の存在。
寺社をお参りするよりリラックスして訪れた場所だと思われる。

商店街を抜けてしばらく行くと、「上」と標識のある交差点に出る。
ここを右へと進んで行く。
この道は30号線で、コーナンの看板辺りで堺は終わる。

ポタリング

(太陽信仰と大樹の伝説が興味深い等乃伎神社。)

 

●高石市の等乃伎神社を過ぎたら、もうすぐ八軒家から七里の場所。

少し走ると、熊野街道からは寄り道になるが中華料理店とインド料理店が並ぶ角があり、そこを入っていくと等乃伎神社がある。
古事記の仁徳天皇の段に、兎寸河のほとりに大きな樹木があり、朝日が当たればその影は淡路島まで伸び、夕日が当たれば影は高安山を超えたとあるそうだ。

その大木で枯野と言う船を造り、天皇に献上する清水を淡路島で汲んで運んだがいつか壊れ、廃材を焼いても燃えなかった材木で笛を作ると、素晴らしい音色で遠くまで響いたという。
そんな大樹がこの辺りあったそうだ。

また「とのぎ」は、太陽信仰と密接な関係にあることばで、古代朝鮮の新羅語で「日の出、朝日」を意味するらしい。
高安山の頂上に立てば冬至の太陽が等乃伎神社に沈み、等乃伎神社に立てば高安山の方向に夏至の太陽を拝む。

ここで冬至には太陽の復活を祈り、夏至には太陽の恵みに感謝する、太陽信仰の重要なお祭りが行われいたようだ。

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(聖神社の大きな鳥居。この近くに篠田王子跡がある。)

 

●高石市から和泉市、八軒家から七里の地点へ。

進んできた道は、府道30号線だが泉北クリーンセンターが左の方向に見えてきたら、左の道へ入って行く。
大きな道ではないが、しっかりと進んで行く熊野街道。

高速道路の下を渡ると、「熊野街道 八軒家から七里」と書かれた背の高い道標がある。
ポタリングとは言えゆっくりペースの熊野詣、ここでやっと七里とは、「母を訪ねて三千里」を思うと気が遠くなる。

お祭りの時はだんじりが通るらしい道をしばらく進むと広く開けた場所に出た。
大きな鳥居は聖神社のもので、熊野街道の案内板がある。

少し先を左に入ると篠田王子跡があり、少し先には八坂神社。
この辺りは、お地蔵さんの祠がいくつもって、地蔵盆の頃の賑わいや子どもが大切にされる土地柄が想像された。

聖神社は、地蔵菩薩があるようなので関係があるのかもしれない。
堺から高石、和泉市まで進んだ今回は、ここまでにする。

ポタリング

(インド料理店あさのランチ。)

調べてみると、もう通りすぎた高石市に、高石神社があって、そこは熊野坐をお祀りしているようなので、次回は、そこからスタートしよう。

 

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(トップ画像/等乃伎神社の白い彼岸花。)