ポタリングでどこまでいける? 熊野街道7 神石市之町から大鳥大社へ。~後編

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前編から続く。

 

●本殿は見られないけど大鳥造。

境内にある地図を見ると、拝殿の奥に本殿がある。
この本殿は、神社建築史上一種の大鳥造らしい。

神社建築史上一種というのがどういう意味なのか、調べたがわからなかった。
出雲大社に近いそうだ。

大切なものをお祀りし保護する本殿は、ほんの少ししか見えない。
お参りするときは、拝殿で行う。
現在の本殿は、乱や落雷による炎上を経て再建、修復されたもので原型に近いらしい。

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(※垣間見る本殿の一角は美しい。)

 

●熊野詣の平清盛の、歌碑と神馬像。

境内には、日本武尊の像、作家田辺聖子氏の書による与謝野晶子の歌碑がある。
その奥には、平清盛、重盛の親子が熊野詣の際に都に兵乱があるとの知らせを聞き、戻る途中で大鳥大社に詣で戦勝を祈願したそうで、そのときに詠まれた歌が残っている。

「かひこぞよ かへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ 大鳥の神」

蚕が蛾になって飛びたてるように我々も京に戻り武功を立てるのでどうか見守り育んでほしい大鳥の神よ、そんな意味らしい。
この歌と愛馬「飛鹿毛」を奉納したそうで、神馬像もある。
平清盛は、熊野へ向かっていた。その話は平家物語にもある。
平家が繁栄したのは、熊野権現の御利益によるものという噂もあった。
最初に平家物語で熊野が登場するのは、平清盛が安芸守だった頃の話。
熊野に向かう途中の舟に、が躍り込んだ。先達の修経者がその鱸を見て周の武王の船に白魚が躍り込んだ故事から「この鱸は熊野権現の御利益であり、召し上がるように」と進めた。
精進の熊野参詣であったが平清盛は皆で分け合って食べた、そんな話。

安芸守とは、大和朝廷による現在の広島の長官の役職で、平清盛は宮島に住み厳島神社とも深い関わりがあった。
そして、熊野詣から、京へ引き返す話も平家物語に残っている。
現在の和歌山県日高郡印南町にある切目王子まで来たところで源義朝の挙兵を知り引き返した話。
その際、王子社の梛の枝を手折って、弓を射る時的に向ける、射向の袖に挿して護符としたそうだ。
源義朝による兵は後白河院を幽閉し、二条天皇を監視下にしていたが、平清盛はこの救出を成功し義朝を打ち倒した。
その翌年から後白河院の熊野御幸が始まった。
後白河院はそれから上皇時代に34回も熊野御幸を行う。

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(※平清盛の歌を刻んだ歌碑。)

 

●堺を出て、次は高石、岸和田へ。

大鳥大社を出て、鳳駅を右手に見ながらJRの踏切を過ぎると鳳商店街がある。
本格的なインドカレーの匂いに誘われたけど、お店はわからずそのまま進む。
商店街のアーケードを出てしばらくすると、熊野街道の案内図があった。
現在地から右へ行くと鳳公園があるはず。
なのに公園は見当たらず、鳳南小学校の近くに出てしまった。
残念だけど今回はここまで。次回は堺を出て高石、岸和田方面へ。
どこまで行けるか。

帰り道、大鳥大社の前のベーカリー ワタナベさんでパンを買い、石津川に架かる橋の上で食べた。
めちゃくちゃおいしい。

橋の下には、鷺が首を伸ばしてゆうゆうとしている。
他にも大きな鳥が幾羽もいて大きな魚の影を追って飛ぶ姿も見えた。
そういえば南海高野線には、白鷺駅がある。
堺には、白鷺が多かったのかも知れない。
大鳥大社に舞い降りた大きな白い鳥も白鷺かも。

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(※ベーカリー ワタナベのあんバターパン。かわいくておいしい。)

 

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(トップ画像/※大鳥大社の鳥居)