命の長さはみんな違う
大切な人が大病になったり、自分自身が病気になったりしたとき、人は「死」とは何だろうと考える時間を与えられます。
それまでは、生きていること、健康なことが当たり前の生活をしていた人でさえも、自分自身が病気で病院に入院することになって、自分自身の今までの過去と向き合う時間を設けることができるのかもしれません。「自分自身はなぜこの世に生まれ変わったのか?」という事を問うことで、子供頃からのフラシュバックが次々と映像として浮かんで来ることでしょう。
人の命の長さは誰にも分らないものです。
「あんなに若くて良い人が、こんなに早く天国に逝ってしまうなんて……」と、突然に訪れる死に対して、私たちは受け入れ不可能な気持ちを抱くことでしょう。
しかし、この世に生まれ変わるときに、私たちは何歳まで生きるということを自ら決めて生まれて来ています。
自殺以外はすべて寿命なのです。
寿命は人それぞれの性格や課題によって異なります。
「私はのんびりとマイペースで、課題をやって行きたいから、80歳ぐらいまではかかりそう」「今回はこの課題とこの課題を学べば良いから、40代半ばまで生きることにしよう」「今回は前世の分まで、学びたいことがたくさんあるから、出来れば100歳まで生きたい」「何度かの前世で色々な経験を学んだので、現世は結婚して子供が授かるまでの期間まで生きることにしよう」「家族に、死んでも魂は永遠だということを教えるためにも、霊として存在すること、そして、霊界があることを教えるために、私の愛する人の誕生日を命日にしよう」等、私たちは生まれ変わる前に、自分の命日は○年○月○日まで決めて来ています。
動物たちも、同じようにいつ頃死を迎えるというように、寿命を決めて生まれて来ています。
人間と心が通じ合う霊性が高い動物達で身近な猫、犬達は、より具体的に死ぬ日を決めて来ています。
生きているのが辛くなるほどの苦難、辛い人生でも長生きな人生を送る方もいらっしゃることでしょう。
でも、その長く生きる中で多くの学びを経験しようという古い魂であればこそ、勉強熱心な魂だからこそ、この世で多くの苦労、苦難に向き合い、より高く浄化したいと願い勉強したいと願いに満ちた魂をお持ちの方でもあるのです。
戦前から戦後を体験する機会によって、多くの苦労を強いられて来た方でさえも、死ぬ瞬間まで、生きていてよかったと思う生き方こそが、学びであるのです。
ただ、途中、その生きることさえも投げ出してしまいたくなるほどの苦痛を味わってしまい、生きることを断念してしまった魂は、現世に残した課題を来世に持ち越すことになります。
やっとの想いでこの世に生まれ変わった魂は奇跡的な確率で生まれて来たことを思い出す必要があります。
宿命を全うしないでこの世から去ってしまうことは、死を迎えたときに無念が残るだけなのです。
いま、もしも、辛い状況にあるからといって逃げるよりも、「自分と向き合う」時間だと思うことです。
私たちは自分の魂の容量に合うだけの「課題」しか用意して来ていませんから、乗り越えられない苦難、苦労は本当のところないのです。
それよりも、辛いからといって、その苦難から向き合わないで逃げてしまい、肉体を失って後悔しても、その肉体には魂が宿っていませんから、戻ることはできません。
命あるものは、必ず死を迎えます。
死があるから「いま、ここ」の瞬間を意識することで、生き続けていることは「奇跡」でもあるのです。
辛いことを多く経験できるということは、それだけ霊界にいる魂団体から期待されて、この世の改革を任されて生まれ変わっている魂だったりします。
死ぬ瞬間まで、魂の覚醒ができるように、寿命を全うして生きましょう。
「ガンバレ!」
ありがとうございます。