ワールド スピリチュアル ニュース インド編 vol.6ガネーシャ神の別名 「ヴィーナヤカ」に隠された教え

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世界各国に散らばるスピリチュアル通特派員から届いた現地のリアルな情報を発信する「ワールドスピリチュアルニュース」。2004年よりインドに単身在住し、日々インド文化を探索し続けている日本人ライター冬野花さんが2回目の登場。知るほどに興味が沸いてくるインドのスピリチュアル、今回はインドの神、ガネーシャの別名に隠された教えについてレポートしていただきました。

何億もの神様が存在するヒンドゥー教

ヒンドゥー教には、何億もの神様がいると言われていて、主要な神様だけでも何十人もいるため、少し説明を聞いただけでは、誰が誰かなかなか把握できないほど。それほど多い神様のなかでもインド全土で大衆に人気を誇る神様となると、かなり絞られていき、そのうちの一人に頭が象で身体が人間の、ガネーシャ(ガネーシュ)神が挙げられます。

ガネーシャ神はヒンドゥー教3大神の一人で、この宇宙における破壊を司るシヴォ神と、その妻パールヴァティの間に生まれた息子であると一般的には言われています。ちなみに、腕は4本あり、牙は1本欠けています。ガネーシャはインドの大衆にとって、特に商業の神様として崇められており、新しいビジネスを始める時などには、必ずガネーシャ神に挨拶に行くのです。また、「Shri Ganesh Karna(シュリ ガネーシュ カルナー)」という言い回しもあり、直訳すると「ガネーシュをする」というい意味なのですが、「(新しいことを)始める」という意味で使われます。

象の頭と人間の身体、という姿がなんとも印象的なガネーシャ。リアルな彫刻からほのぼのと描かれたものまで、さまざまな種類があるのも楽しい。

ガネーシャ神の別名には教えが隠されている

ガネーシャ神は、他の神様と同様に、非常にたくさんの名前を持っています。インド人なら誰でも知っているガネーシャの別名を挙げるとすれば、ガジダント(Gajdant)、ガナバティ(Ganapati)、そして「ヴィナーヤカ」という名前に隠されている本当の教えについて書きます。 ヴィナーヤカー(Vinayak)というのは「真の支配者」「主人を持たぬもの」などと訳されることがあるのですが、それは、いったいどういう意味なのでしょうか? 実は、ヴィーナヤカ(Vinayak)という名前は、2つの部分に分けられるのです。

「Vi(ヴィ)+「Nayak(ナーヤク)」

【Vi(ヴィ)】日本語には「非、無、不」など、単語の頭につけると、意味が対照的、逆になる言葉がありますが、サンスクリット語やヒンディー語にも同様の役割をする言葉があるのです。そのひとつが「Vi(ヴィ)」です。

【Nayak(ナーヤク)】指導者、リーダー、主人

よって「Vi(ヴィ)」+「Nayak(ナーヤク)」である「Vinayak」という名前は、「主人を持たぬもの=主人がいないもの」などと言う意味になるのですが、この場合の「主人がいない」という意味を理解するには、「それを超越している」というニュアンスで解釈するといいでしょう。つまり、「ヴィナーヤカ」は、自分が自分の主人である、自分自身が自分の指導者である、自分以外に自分を導くものを持たない者、という意味になるのです。英語では「No one obove him(彼の上には誰もいない)」「Master of himself(彼自身のご主人)」などと訳されたりしています。

神様の教えを正しく理解することに意味がある

世界中のどんな宗教も、もとをたどればひとつの教えに行き着くとよく言われます。それは「自分自身の良心に従いなさい。我欲や邪念を一切挟み込まずに、自分の良心が言っている事に耳を傾けてみなさい。良心は誰の心にも必ずあるものです。神は外にはありません。あなた自身が神なのです」という教えです。今では、作法の違いを教えの違いと混同させたり、権力との絡みなども加わって、正しい解釈はすっかり忘れられてしまいました。宗教は「やっかいでデリケートな国際問題」のようにもなってしまいますが、ヴィナーヤカの名に隠されている意味も、古今東西変わることのないシンプルな智慧についての教えなのです。

「心のどこかがチクリと痛んだ」。この時に、そのチクリを無視せずに良心に従える強さを持つ者、それがヴィナーヤカであり、ひいては私たち人間の目指すべき姿なのです。ちなみに、インドでも神様の教えを皆が正しく理解しているわけではありません。「自分に打ち克つための闘い、自分の中の悪と戦う」という意味を分かりやすく物語にしたはずの、神話の戦闘シーンなども残念ながら、映画や子ども用番組では、ただの戦闘、復讐劇です。インド人の大好きな「正義のために悪と戦うヒーロー」の「悪」は、本当は自分のなかにあるものを指している、ということをはっきり認識して映画やテレビを見ているインド人は多くないというのが現状です。いずれにしても、一見わけのわからない神話のお話も、こうして一つひとつ「なるほど!」と知っていくのは、楽しいですね。

※ガネーシュとガネーシャ、ヴィナーヤカのように、語尾の部分に母音が付いたり付かなかったりするのは、サンスクリット語とヒンドゥー語の読み方の違いです。両言語は、文字は同じなのですが、簡単に言うと、語尾の母音を発音するかしないかの違いがあります。日本語でも時と場合によっては、今でも古語っぽく読んだりする事柄があるのと同じで、インドでも神様の名前などは、ヒンディー語読みしたり、サンスクリット読みしたりするのです。

*今回のTRINITY特派員*

冬野花さん

インド在住ライター。2004年 夏より、インドのニューデリーに単身在住。インド人に混じってヒンディー語をしゃべりながら暮らす日々。インドの文化やトレンド、各地の情報、アーユルヴェーダ関連の情報を発信。夏はヒマラヤの奥へ足繋通う。写真も得意。

HP http://fuyuhana.wancoworks.com/

ブログ「心の暴風警報 in INDIA」

photo&text:Hana Fuyuno