ココロセラピストが語る!『道端に倒れている人たち』とは? -スルーメンは動じない-

時にはどうにもならない事もあります。でも、自分にも他人にも無関心にならないように意識し続ければ、奇妙な世界に紛れこんでしまってもスルーメンにならずに済むかもしれません。いえ。それ以前に奇妙な世界に紛れこまずに済むかもしれません。
ココロセラピストが語る!『道端に倒れている人たち』とは? -スルーメンは動じない-

スルーメンがいっぱい!

ネットである画像を見た時は本当に驚きました。東京だと思うのですが、道端に人が倒れている写真です。そういう画像がたくさん掲載されていました。サラリーマンふうの男性が倒れているものもあれば、イマドキの若者ふうの男性が倒れている画像もありました。男性だけではなく女性が倒れている画像もありました。チンピラとか、ワケアリっぽい人たちではなく、ごく普通の人たちです。(※その画像が真実かどうかは不明です。)

なんというか、「だから何?」とでも主張しているかのような何事もなかったかのような写真には背筋が凍る思いでした。

どういう事かと言うと、倒れている人たちに誰も関心を持っていないと言う事です。普通なら、ビックリして警察なり救急隊を呼ぶなりするのではないかと思います。でも、そういう画像は見当たりませんでした。

みんなスルーして通り過ぎています。単に道端で眠っているだけと解釈したのか、それとも酔っ払いだと思って近寄らないようにしたのか、それはわかりません。

道端に人が倒れているのが当たり前みたいな状況も不気味なのですが、その状況を「当たり前すぎて何とも思わない」と思って(?)通り過ぎていく『スルーメン』(造語:堂々とスルーしていく人たち)も、どちらも本当に奇妙です。まさか都会人の新しいサブカルチャー……等と言う事は無いと思います。

そもそもスーツを着たまま道端に倒れているという人というのは、どういう人たちなのでしょうか。ブラック会社の激務に力尽きて帰宅する前に倒れてしまったのでしょうか。
想像の域を出ないので何とも言えませんが、ブラックではないのだとしたら、上司や同僚の方はもし翌日彼(or彼女)が出社して来なかったら、ぜひ探してあげるなり家族や警察に連絡するなりしてあげて下さい。

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スルーメンと社会的手抜き

『社会的手抜き』という言葉があります。説明するより例を挙げた方がわかりやすいと思います。

集団採用のバイトに採用されたとします。何人いるかわからないくらい人がいます。そういう状況下だと「私、少しくらい怠けたってバレないわよね……。これだけ人がいるんだから誰かがフォローしてくれるだろうし、影響で無いよね……」と無責任になってしまう。そのような状況です。

自分と言う存在が集団(人がたくさんいる)の中に埋もれてしまう事によって、自分個人の責任が薄くなったような気分になってしまうのです。もちろん、みんながみんなそうと言うわけではありませんのでご注意ください。

ではスルーメンは、本当は同情心や憐みの感情、あるいは優しさを持っているが、都会ゆえに人口密度が高いから、敢えて自分が倒れている人を救助しなくても誰かが助けるだろうと思ってスルーしているのでしょうか。もしそうなら、社会的手抜きのパターンに当てはまります。

ただ、倒れている人がことごとくスルーされるのは必ずしも社会的手抜きだけが影響しているわけではない気がするのです。