尊くてありがたい世界に一つだけの足 〜聖なる足は時代も国境も越える〜

足は大地とつながって身体を支え、人生を前へと歩ませてくれるとても大切な部位。古来より特別な存在として敬われ、伝説となった足に関するエピソードを紹介します。
尊くてありがたい世界に一つだけの足 〜聖なる足は時代も国境も越える〜

神聖か、不浄か? 足に関する言い伝え

「足の裏、キタナイな〜」と、なかなか人前では披露し難い足。
けれども、古来より足には特別な意味があり、そのエッセンスは世界各国の伝説や伝統に散りばめられている。

例えば聖書においては、「足を洗う」という行為は奴隷の仕事だが、キリスト自らが弟子の足を洗う事で最高の謙遜と愛を示し、またキリストの足を自らの涙と髪でぬぐったマグダラのマリアの行為も愛の表現だ。

インドでは、聖者や尊敬する人の足は神聖なものとされ、人を建物にたとえるなら、基礎(足)をみればどんな建物(人物)か分かると考えられる。

よって足は、生きてきた結晶、人生の象徴、そして土台。聖者の足に触れることは、”あなたの歩む道を私も実践したい”という経緯を示しているのだ。

子どもが祖父・祖母の足にふれるのは、”あなたの人生があるから、私は生きている”という尊敬と祝福が込められているという……。

 

超人的な生き方をあらわすお釈迦様の足の裏

日本では、全国各地に「足の神様」が祀られる神社や、足を浄化して無病息災を祈るお祭りがあるほか、信仰の対象として仏足石が点在してる。
仏足石とは、お釈迦様の足跡を石に刻んだもの。その足裏は、後世に伝えられたお釈迦様の身体的特徴「三十二相・八十種好」のなかで語られている。

足の甲は高く、土踏まずのない偏平足型。足の裏には、千輻輪相、双魚相など「瑞祥七相」と呼ばれる美しい指紋がある。お釈迦様が立って説法をした地面には、それらの文様の足跡が残っていたという言い伝えだ。
お釈迦様だけに表れたその足相は仏教の教え、その生き様を示している。

お釈迦様のように高尚な足相でなくても、私たちの足裏にも、一人ひとりの人生が刻まれており、大きさ、形、色、弾力も全てが異なり個性的。これこそがオリジナルの足相だ。

自分の足をじっくり眺めてみよう……。

足との対話は、人生の問答、そして満足度のバロメーター。
考え方を改めるきっかけとなり、もみほぐせば足の様相も変わり、きっと、足の裏から運命は、拓ける。

 

epsode1〜弟子たちの足を洗ったイエス・キリスト〜「洗足式」

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キリストが十字架にかけられる前、「最後の晩餐」の夜の出来事。キリストは、謙遜する12名の弟子たちの足を自ら洗い、謙虚な行いの模範を見せた。この行為は、現代でも神父さんが12人の足を洗う儀式「洗足式」として残っている。

 

epsode2〜神様に感謝! ビックリ足跡〜「神の足跡」

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昔、干ばつに見舞われた村人が氏神様に祈ったところ、翌日雨も降らないのに河川は水に溢れ、氏神様の裏には巨大な足跡が。村人たちは「神様の足跡に違いない!」と崇め始めた。場所は福井市小丹生町の越前海岸にある。

岸上にある足跡のサイズは長さ5m、幅2m。左足が足袋型、右足がわらじ型になっている。

 

epsode3〜お釈迦様の足裏の相にあらわれた仏教の真髄〜「仏足石」

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お釈迦様の入滅後、人々はその尊い姿を像として形にするのもはばかられたため、立って説法をしていた場所、歩んだ道などに、お釈迦様の足の裏を石に刻んだのが、仏足石のはじまり。

 

epsode4〜裸足になって大地とつながる聖なるダンス〜「フラ」

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フラのステップは、右の足裏から大地のエネルギーを受け取り、全身を巡って、左の足裏から大地へ戻すと考えられている。足の裏は母なる大地のエネルギーの交流の場。

 

epsode5〜足から邪気を浄化する御手洗池〜「下鴨神社」

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祓戸四神の一柱である瀬織津姫売命(せおりつひめのみこと)を祀る御手洗社。土用の丑の日に行われる「足つけ神事」は、境内にある御手洗池に足を浸して、罪、穢れを祓い、無病息災を祈るお祭り。平安期には貴族が行っていた禊だ。

下鴨神社 京都市左京区下鴨泉川町59
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 

TRINITY35号より