スピリチュアルを知る(感じる)ツールって~集中したときに何かが起こる~

生きていれば、また「死」に直面するのはごく当たり前のこと。そんな自然の流れに逆らわず、好きな事に集中してみてはいかが?

●ここ数ヶ月で気持ちが一気に内観に向かっています。

海外に住み、「自分を見つめてみる」為に外の様々なワークショップやセミナーにも出かけ、沢山の本を読み、友人達とシェアしたり。

しかし、昨年末辺りから地に足が着いてきたなあ、と感じるようになり、そして最近は、一人の時間が持てる時に、疑問に思っていることへのメッセージがふっとよぎったり。

シュタイナーの考えからみると、私は、年齢的に「魂(こころ)の成長」の時期から「精神的・霊的成長」の時期に入ろうという移行期間。

魂や霊的成長と書くと、「スピリチュアルな能力発揮」のように思われる人もいるかもしれませんが、そうではなく、人が生まれ成長し年を重ねていく過程で、同様に人間としての死に向かって進んでいく、いわば当たり前のような流れに入っていきます。

死に向かう、と書くとなんだか怖いイメージを持たれそうですが、誰しもいずれあちらの世界に旅立ちます。

●スピリチュアルは特別なことでなく、年を追うごとに実感していきます。

なぜなら、年老いた両親や身内の存在、身体だって20代のような多少無理が利く体力ではなくなり、目の前の仕事や恋愛に一生懸命だった頃から、仕事のキャリアを積んで生活や気持ちが安定してきたり、家庭を持ち家族と過ごすことや、若い頃とは違う自分の身体の変化を知り、精神的な考えに関心を持つのは流れなのかなあ、と。

スピリチュアルをテーマにしたセミナー等も身近になり、気軽に参加できるようになってきました。

自分の気づきのツールとして参加するのはいいと思います。

実際私も、多くのセミナーに参加しました。
私はなんでも実体験したいタイプなので、実際に参加し、セミナー主催者の話を直接聞いてみたいのです。

そういう場にいると、大抵普段と違う感覚を感じるので、それが気づきのきっかけになったりもします。

でも、自己の変化を外に求める(委ねる)のではく、気づき変化をもたらすのは自分自身の中から。

そして、スピリチュアルな学びって、何も特別なセミナーに参加することでもなく、(もちろん、セミナーの参加もひとつのツールです。)

●何かに集中していくと、ある時、自分のココロに何かが起こる。

何かを聞くのかもしれないし、
視覚的に何かを見るのかもしれないし、
匂いを感じるのかもしれないし、
身体的変化からかもしれないし、
夢で何かを見るのかもしれないし、

人それぞれだけど、「ああ!これだ!」というものがやってくる。

それって、黙々と趣味に没頭してる時かもしれない。

私は以前ロッククライミングをやっていましたが、これはかなり手先、足先に集中して登っていきます。
その集中力がひとつの瞑想しているような感覚で、あれだって十分スピリチュアルじゃないかなと。

普段何気なく生活してて、意識的に自分の指先、爪先に集中して自分の身体を動かすなんてことはしない。食べる時に箸を持つ指、パソコンのキーボードを打つ時、指先に意識を集中して……なんてないですよね。歩いていて、足先に意識を集中してないですよね。

普段意識しない身体の末端に集中して動くこと。これ、なかなか良いですよ。

●何か自分の好きなことに集中してみるだけでも違います。

好きなことに集中し、好きなことに時間を使うことは結果としてココロと身体を元気に前向きにスカーッとさせてくれます。

と書きつつも、普段の育児に追われ、ふと自分の軸がブレてることに気づいた時の落ち込みと言ったら。(苦笑)

ただ、その軸のブレ幅が以前より狭くなり、以前より軸に戻れるのも早くなってきました。

私だって完璧でない、その学びの為に日々生きている。

今の私には内観していくのがとてもいいタイミングのように思います。
皆さんにもスピリチュアルを学ぶ(感じる)タイミングがベストな時にやってきますように。

 

 

》前回の記事はこちら《